産経新聞社

ゆうゆうLife

元地域新聞編集長 太田知子さん(53)(下)

母親の車いすを押して実家の近くを散歩する太田さん(太田知子さん提供)


 ■仕事も趣味も続けたい/自立促し側面から応援/離れていても日記連絡

 介護一辺倒ではなく、自分の生活も充実させたい。実家の母の介護に通う元西多摩新聞編集長の太田知子さんは、仕事との両立だけでなく、趣味も続ける生き方を模索しています。実家での役割は、自分でできるだけ家事をする母親のために、自立しやすい環境を整えることです。(寺田理恵)

 母が介護老人保健施設に5カ月いた間に、実家をリフォームし、母を家に戻しました。在宅介護を選んだ理由の一つは、施設介護だと、お金がかかるからです。実家は農家で、両親の収入は国民年金だけなので、老健の費用は賄いきれません。在宅で介護保険給付を利用すれば、要介護1の母の負担は、費用の1割の約1万6000円ですみます。

 平成18年10月、在宅介護が始まりました。ヘルパーさんは最初、母に「主婦の大先輩ですから、いろいろ教えてくださいね」と、一緒に料理をしようとしました。体が不自由なお年寄りを助けてあげるというような上から見る姿勢ではありませんでした。

 そして「ジャガイモの皮をむいていただけますか」と母に声をかけると、新聞紙を広げてジャガイモを置き、包丁を持たせたのです。母は不自由な左手にジャガイモを持ち、皮むきを始めました。

 もう母には家事なんかできないと思っていたから、感激しました。母にもできることがあるのに、私が自分でした方が早いから、気がつかなかったのです。ああ、そうか。自立させなければいけないんだと思いました。

 週2回ヘルパーさんに来てもらい、週3回は通所リハビリ。私と妹が週1回ずつ介護に通う計画でした。とてもうまくいっていたのに、1カ月もたたないうちに、母が骨折して入院したのです。10カ月間のリハビリの努力を思うと、母も私たちも本当に落ち込みました。

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 施設への入所も考えましたが、母が家に帰りたがったので、やめました。施設に入れたら、母は世話を受けるお客さま。家にいれば家事をしながら、主体的な人生を送ることができると判断しました。リハビリでトイレに車椅子(いす)で行けるまでに回復しましたし、理学療法士の「家に帰って日常生活を送ることが一番のリハビリ」との言葉も後押ししてくれました。

 家に戻ると、リフォーム後も残っていた段差を、母は車椅子を持ち上げて越えていきます。食事後、父がすぐに食器を洗わないと、母が流し台にもたれて洗っています。長年、家事をしてきた母は、家事をすることで自立に向かうことができる。「日常生活が一番のリハビリ」とは、こういうことだったのかと分かりました。

 母が車椅子でも洗濯物を取り出せるように、斜めドラム式の洗濯機を買いました。母は洗濯物をポリ袋に入れ、車椅子で運んで室内に干します。母に必要なのは意欲で、私たちの役割は使いやすい洗濯機や調理器具を用意するなど側面からの応援です。それと声かけ。親子ですから遠慮がありません。「筋力をつけないと立てなくなっちゃうよ」と、ことあるごとに言いました。

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 実家との往復には、車で5時間かかります。実家に移り住むことも考えましたが、それでは私の人生が介護だけになってしまいます。母の介護と仕事を両立しながら、月1回の山登りと月2回のシャンソンのレッスン。気分転換になりますし、自宅にいれば近くに仲間がいます。

 仕事も介護も無理なく続けながら、これまで通り、趣味も楽しむ方法はないだろうか。悩んだ結果、昨年4月に西多摩新聞社を退社しました。今はフリーで働いています。

 離れて暮らす老親の一方が脳梗塞(こうそく)で倒れるのは、典型的なケースだそうです。いざというときの参考になればと、連載に加筆して『老親介護は突然やってきた!』を出版しました。

 うまく続けるこつは、連絡態勢をしっかり取ること。私と妹は、母の様子や出来事が互いに分かるように、介護日記を付けています。それがヘルパーさんとの連絡ノートにもなっています。例えば、ヘルパーさんから、転倒を心配する書き込みがあれば、私が「しばらく様子をみたい」と返事を書きます。

 実家には、ヘルパーさんも娘たちも行く。親戚(しんせき)や近所の人も来てくれます。いろんな人がかかわり、それぞれの視点で見ることができます。この先、どうなるか分かりませんが、仕事も趣味もあきらめずに、介護を続けたいと思います。

(2008/03/14)