産経新聞社

ゆうゆうLife

故池田貴族さんの妻、池田一美さん(上)

池田一美さん(中央)


池田貴族さん(平成10年撮影)


 ■術後10カ月でがん再発 「娘が3歳になるまでは」 

 肝細胞がんに侵され、平成11年に36歳で世を去ったミュージシャンの池田貴族さん(本名・貴)。病魔と闘う池田さんは当時、マスコミで盛んに取り上げられました。あれから約10年。妻の一美さん(38)に話を聞きました。(永栄朋子)

 平成8年のことです。上京した義母が池田の顔を見るなり、「どこか悪いの?」と驚いたんです。心配になって検査したら、肝細胞がんだと分かりました。医者である同級生に相談し、すぐに郷里の名古屋で手術。肝臓の4分の1を切除しました。肝細胞がんは難しい病気です。池田はすでにステージ3。5年後の生存率は50%でした。でも、目の前の池田はどんどん回復していく。私たちは「手術したから大丈夫」と、どこか軽く考えていました。

 当時は、一緒に暮らし始めて4年目。池田は「子供はいらない」と言い続けた人。「自分が長生きできるとは思えない」と。でも、手術のとき、当時1歳だっためいの存在に癒やされたんです。赤ちゃんって、いるだけで場が明るくなるでしょう? ほしいね、という気持ちになって。そしたら本当に妊娠。

 予想外の妊娠でしたが、池田は喜びました。私たちが出会った七夕の日に入籍。きっと女の子だろうと、池田は「高校生のうちは外泊禁止」だとか、未来を夢見ていました。

 ところが、手術からたった10カ月で再発したんです。定期検査後、いつもある電話が来ない。やっと帰ってきたと思ったら、「ごめん。再発した」と。泣きました。池田は「大丈夫だから。大丈夫だから」と抱きしめてくれました。彼自身も泣いていました。

 池田は病状を隠さないでほしいと望みました。このときも、検査結果を詳しく知っていました。進行性でステージ4a。手術後に抗がん剤を打つ−という話でした。「オレが死んでも、1人で子供を育てられるか?」と聞かれ、そんなに悪いんだとショックでした。

 「結婚式も指輪もなくて、親にもあいさつしてなくてごめん。せめて、がんばって長生きするから」という池田に、私は「肝臓にいい」という食事や水、健康食品も、何でも試しました。

 池田は「子供のために死ぬわけにはいかない」と前向きでした。最初の手術では「痛い」「かゆい」と、そればかりだったのに、このときは一刻も早く退院しようと、模範的な患者でした。何かと分かりやすい人なんです(笑)。

 手術はうまくいき、3週間で退院。家での池田は夜になると不安や恐怖で「もうだめだ」と始まってしまう。ある時「そんな人の子供は産めません」って怒ってしまいました。ハッとしたようですね。以来、弱音を吐かなくなりました。

 抗がん剤投与が始まり、2度目の投与後に娘が誕生しました。出会いと結婚記念の七夕にちなんで「美夕(みゆう)」と名づけました。娘の誕生は励みになったようです。テレビでは「美夕が3歳になるまでは生きたい」と言う映像が残っています。3歳だったら記憶に残るだろうと。でも、そう言いながらも、私たちは池田が死ぬとは思えなかった。池田自身も「授業参観に行かなきゃ」とか、「女の子だから、20歳までは見守らなきゃ」と言っていました。しかし、3度目の再発まで時間はそうありませんでした。

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【プロフィル】池田貴族

 いけだ・きぞく 本名・池田貴。昭和38年生まれ。平成2年、ロックバンド「remote」のボーカルとしてデビュー。4年にグループ解散後は「霊感ミュージシャン」、「よろず評論家」として活躍した。11年、肝細胞がんで36歳で死去。

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【プロフィル】池田一美

 いけだ・かずみ 昭和44年生まれ。タレントの仕事を通じて貴族さんと出会い、結婚。貴族さん亡き後は郷里の三重県に戻り、介護の仕事に携わる。1歳半で父親を送った美夕ちゃんは今春、小学5年生。「CDで聴くお父さんの歌声は輝いてて、かっこいい」とはにかむ。

(2008/03/20)