産経新聞社

ゆうゆうLife

故池田貴族さんの妻 池田一美さん(下)

 ■娘の存在に生かされて 自分らしさを今実感

 30代半ばで進行性の肝細胞がんを発症したミュージシャン、池田貴族さんは闘病中、一人娘の美夕ちゃん(10)を授かりました。残される家族を心配しながら、最期まで仕事に情熱を傾けた夫。「すぐに再婚するから安心して」と励ました妻の一美さん(38)は今も、シングルマザーとして美夕ちゃんを育てています。(永栄朋子)

 平成8年に肝細胞がんが見つかり、亡くなるまでの3年。手術でがんを取っても、半年もすると、また新たながんが見つかるといった具合で、闘病生活は厳しさを増していきました。

 平成10年のクリスマスには肺に転移。翌夏には肝臓のがんが70個に増えて、もはや手術もできなくなりました。病状が進み、私は東京を引き払い、池田と田舎でゆっくり生活したいと願いました。でも皮肉なもので、病気が重くなるほどに池田の仕事は順調でした。

 本人は長く、タレント活動が中心でしたが、もともとはミュージシャン。元気なときは常々「オレがやりたいのはこんなことじゃない。歌がやりたい」と言っていたんです。それだけに、新アルバムやコンサートは、生きがいのように見えました。

 そんな彼の姿に「この人は仕事が好きなんだ」と、何も言わずに見守ることにしました。

 夏が終わるころには腹水がたまりだし、つらそうで見ていられなくなりました。私は美夕と私の存在が逆に彼を苦しめているんじゃないかと思いました。それで、励ましたいと「すぐに再婚するから」なんて言って。

 池田はそのころ、私に「人間の体が壊れていく過程をよく見ておけよ」と言っていましたが、本当に壊れていくまでの過程を見事に見せてもらいました。

 冬になり、先生に「あと1週間。年を越すのは厳しい」と言われましたが、受け入れられませんでした。

 亡くなる前って、神様から最後にもらえる時間というのかな。このまま回復するんじゃないかと思う一瞬があるんです。「仕事をするから携帯電話を貸して」と言ったり、おいしい物を食べたり。奇跡が起きて助かるんじゃないかと、思ってしまうんです。

 でも、1週間と言われ、義母は葬儀の手配を始めました。彼がまだ生きているのに。それがどうしても受け入れられず…。亡くなってからもしばらく、交流を持てませんでした。

 うつらうつらと眠り、一瞬目を開けたかと思うと「今日は何日?」と聞き、またうつらうつら。選んだかのように、クリスマスの日に旅立ちました。最期の言葉は「美夕、ママを頼むよ」でした。

 池田の死後、帰郷して、美夕と私の心が回復する時間を持ちました。美夕は病室で過ごす時間が多かったからか、泣くこともできない子でした。お人形遊びをさせると、赤いペンで血を書き、お葬式ごっこをするような…。そんな美夕と毎日、何時間も外で遊びました。

 「パパは?」と聞かれると、幼少期には亡くなったと言えず、「仕事が忙しい」と。私も美夕も池田の死を乗り越えるのに、随分時間がかかりました。今は美夕も子供らしく、元気にやってます。美夕の中では、パパには、いいイメージしかないみたいで。実際は違うのよ、と言ってるのですが(笑)。

 シングルマザーだと、父親役と母親役の切り替えがなかなか。でも、美夕と「ほかの人がしていないような経験をしてきたんだから、強くがんばろうね」と言っています。

 池田の影響もあって、介護士になりました。7年目です。秋にはケアマネジャーの資格を取ろうと思っています。仕事を通じて、いろんなことを教えられます。元住職の方に「あなたはお子さんの存在に生かされてるんだよ」と諭され、本当にそうだと。一時期、疎遠になっていた義父母のことも、息子の葬儀を手配するのがどれだけつらかっただろうと思って。

 池田との人生は、私の人生の一部に過ぎません。まだまだ、乗り越えていかなきゃならないことが多いでしょうが、今やっと、自分らしく生きてると、そんな実感があるんです。

(2008/03/21)