産経新聞社

ゆうゆうLife

プロレスラー 小橋建太さん(41)(下)

腎臓がんからの復帰戦で、対戦相手にラリアートをあびせる小橋建太さん(右)=昨年12月2日、日本武道館


 □腎臓がんを克服

 ■手術後1年半で復帰戦 一日でも長くリングに

 腎臓がんになったプロレスラー、小橋建太さん(41)は手術後、復帰を目指してトレーニングを開始しました。トレーニングは、腎臓への負担も並大抵ではありません。小橋さんは「前例がないので自分の体を実験台にしながら、調整を続けた」と言います。地道に努力を積み重ね、ついにリングへのカムバックを果たしました。(佐久間修志)

 手術後もアクシデントはたくさんありました。手術の時に横向きになるため、左肩に全体重がかかり、打撲のようになりました。そのダメージが負担になり、残る1個の腎臓も手術後、腎不全になるところでした。手術は平成18年7月6日でしたが、退院は27日でした。

 トレーニング再開は、8月10日。ただ、当時は体のだるさに加えて、精神的な落ち込みがすごかった。手術前はチャンピオン。ところが手術後は試合どころか、命の危険にさらされている。「これからリングに立てるのか」と落ち込みました。

 15キロくらい落ちた体重も、なかなか元には戻りません。筋肉を作る源はタンパク質ですが、腎臓にとって、タンパク質は取ってはいけない成分だからです。脂肪分はいい。でも、タンパク質は腎臓に負担をかけます。

 ウエートトレーニングというのは、一度筋肉を壊して、再生させて大きくする。ところが、その際に老廃物が出て、腎臓で処理される。だから、腎臓にとっては悪い。主治医も「プロレスはだめだ」とずっと言っていました。

 食事は宅配で「腎臓食」を取りました。エビフライなら衣が8〜9割で、エビが1〜2割の代物です。手術するまでは高タンパク低脂肪の食事でしたが、手術後は高脂肪低タンパクに変わりました。医師や理学療法士、それからサプリメントの会社の人が集まって、老廃物が出ないタンパク質はないのかという話し合いまでしました。

 結局、そんなものはなく、残った腎臓を最大限、使えるようにしようと、半年間は食事にも気を使いました。練習を少しずつハードにし、体と相談しながらやっていった。そうして去年の夏くらいに、現在の体重に戻りました。

                  ■□■

 12月、欠場して初めてファンにあいさつしました。そうしたら3日後の定期検診で腎臓の数値がよくなり、復帰に反対していた主治医も「頑張りましょう」と前向きなことを初めて言ってくれたんです。

 それからは、復帰に何が必要か考えて、以前、手術したひざを再手術。二重のリハビリになった昨年2〜4月は本当に言葉で表せないくらいきつかったです。加圧トレーニングを取り入れるなどして、5月からは調子がよくなりました。

 8月の定期検診で腎臓の数値が悪くなりましたが、夕食を6〜7時にし、その後はいくらおなかがすいても食べないというやり方で乗り切りました。水か杜仲茶か黒豆茶を飲んで空腹を紛らわせましたね。こうして10月7日、リングアナウンサーが復帰を発表、27日に武道館でファンを前にあいさつしました。

                  ■□■

 迎えた12月2日の復帰戦。入場のテーマ曲が鳴ったときには、いつもの感覚に戻っていました。試合後はうれしさは全くなく、負けた悔しさばかりこみ上げました。家に帰り、ごはんも食べない、シャワーも浴びない。まず、試合の録画を見ました。悔しくてね。

 録画では、自分から逃げていないか、相手から逃げていないか、ファンのみんなにぶざまな姿を見せていないか、いろんなところが気になりました。結局、納得がいかなかったですね。

 自分にとってプロレスとは何か。それを追求するためにリングに帰ってきた。今はそんな気持ちです。復帰までは12月2日の復帰戦が目標でしたが、今では単なる通過点のように思います。

 病気でいろいろ考えさせられました。健康な人でも心に悩みを抱えている人はいる。そういう人に、苦しんでいるのは自分だけじゃないし、頑張れば克服できることを伝えたい。プロレスの好き嫌いは関係なく、頑張る姿を見て、何かを感じてくれたら復帰した意味があると思います。

 今は1日でも長く、リングに立ちたいです。腎臓がんは10年が目安。では、10年間何もしないで過ごすのか。やりたいことを必死でやっていくのか。それは自分の選択することだと思う。

 医師からも「小橋さんの“生きる”はリングに立つことなんですね」と言われました。プロレスに復帰したことで、半年、1年で人生が終わっても、精いっぱい生きた時間に価値があるんじゃないか。そう思っています。

(2008/03/28)