産経新聞社

ゆうゆうLife

夫を過労死で亡くした中島晴香さん(52)

「すかいらーく」グループで店長だった夫の富雄さんを過労死で亡くした中島晴香さん=横浜市の自宅


 ■労災認定で基金設立、「名ばかり管理職」解決を

 横浜市の薬剤師、中島晴香さん(52)は約4年前、外食大手「すかいらーく」グループの店長だった夫、富雄さん(享年48歳)を過労で亡くしました。富雄さんは月に180時間もの残業を強いられ、心身ともに疲れ果てていました。しかし、管理職だったことから、残業代は一切、支払われませんでした。晴香さんは、勤務実態が記された富雄さんのメモを片手に奔走し、過労死の認定を受け、未払いだった残業代も受け取ることができました。しかし、その後も“名ばかり管理職”の訴訟はなくなりません。(清水麻子)

 夫が倒れたのは、平成16年8月でした。出勤前に玄関先で突然、吐き気とめまいを訴えて動けなくなったんです。救急車で病院に搬送し、緊急入院しましたが、2日後に脳梗塞(こうそく)を起こし、10日後に息を引き取りました。

 夫は大学卒業後、すかいらーくに入社し、長年店長を務めてきました。いつも忙しかったのですが、亡くなる2年前からグループのイタリアンレストランの支援店長として複数店を受け持つようになり、輪をかけて忙しくなりました。

 支援店長は、担当店の店長が休みのときや、アルバイトなどの欠員が出た店に、ヘルプに飛びます。自宅のある横浜市から静岡県内の店に駆けつけ、自ら注文をとり、調理をこなす一方でレジにも入り、激務をこなしていました。朝7時に家を出て、明け方の4時や5時に帰ってくることもありました。

 めったなことで弱音を吐かない夫でしたが、亡くなる2カ月ほど前から「疲れた」と言うようになり、会社を辞める決意もしていました。倒れたのは、そんな矢先でした。

                  ◆◇◆

 夫は他人に優しい人格者でした。私は夫が副店長を務めていた時代に、店でアルバイトをしていて、そこでどんなスタッフにも真剣に接するのを見て、素敵だなあと思うようになりました。結婚後も、持病の治療のため通院に付き添ってくれ、悩んだときには真剣に相談に乗ってくれました。忙しい合間を縫って、一緒に散歩や外出を楽しんでいました。

 夫が亡くなった後、私は支えを失い、体重が10キロ以上も減りました。何をしていても、考えるのは夫のこと。毎日泣いてばかりいて、写真の夫とだけ話す日が3カ月ほど続きました。

 そんなある日、写真の夫が「晴ちゃん、頼むよ」と言っている気がしたのです。はっとしました。倒れる直前、長時間労働と残業代を調べ、「置かれた状況に疑問を感じる。僕が会社を正さなければ」と言っていたことを思い出しました。

 私が代わりにしなければならないと思いました。

 さっそく、夫が書き残した勤務実態のメモを、息子にパソコンで表にしてもらいました。そのメモを持って、夫が相談に行く予定だった長時間労働に詳しい労働組合に走りました。

 それまではよく分からなかったのですが、表にすると、夫の勤務実態はひどい状態だったことが分かりました。月の平均残業時間は約130時間。多い月で180時間もありました。厚生労働省の過労死認定基準は、発症前1カ月の残業時間が約100時間、発症前2〜6カ月は80時間。夫の残業時間は、大きく上回っていました。

 労組の後押しのおかげで、申請から4カ月で労災が認められました。その後、未払い残業代と賠償金も支払われました。

 このお金をもとに、過労死撲滅の基金を設立しました。同じように悩む家族の役に立ててもらっています。

 でも…。夫は、隣にいないままなのです。私は診療内科に通い、抗鬱剤を飲みながら、何とか生活している状況です。よそのご夫婦が一緒に歩いている姿を見ると、つらくてたまりません。死んだら夫に会えるから、早く死にたいとすら思います。

 過労死は増えるばかりで、名ばかり管理職の問題も解決しません。もう、同じことは繰り返さないでほしいと、心から思います。

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【プロフィル】中島晴香

 なかしま・はるか 昭和31年、静岡県生まれ。富雄さんの死に直面し、平成18年12月、超然とした「龍」を理想とした夫の遺志をくみ、「過労死をなくそう!龍基金」を設立。19年8月には、過労死撲滅に貢献した人や団体を表彰する「中島富雄賞」を作り、過労死110番全国ネットワークを表彰した。富雄さんとの間に娘と息子がいる。

(2008/04/04)