産経新聞社

ゆうゆうLife

高瀬登志子さん(下) 


 □国際アビリンッピクで金メダル

 ■会社の勧めで世界一、努力は必ず報われる、周囲の支えに感謝 

 42歳の時に心臓ペースメーカーを植え込み、1級の身体障害者となった高瀬登志子さん(56)。その後も変わらず、アパレルメーカー「イトキン」で縫製の仕事を続けています。縫製の魅力は「製品が思い通りに仕上がったときの喜び、達成感」と話す高瀬さんは、平成17年の障害者技能競技会の全国大会で金賞を受賞。昨秋の国際アビリンピックの洋裁・婦人服応用部門で金メダルを獲得しました。「努力は必ず報われる」と自らに言い聞かせているといいます。(横内孝)

 障害者の大会があること自体、全然知らなかったんです。17年の春ごろでしょうか、たまたま大会のことを知っていた同僚から「高瀬さんも出てみなよ。大丈夫、優勝できるから」って言われたんです。「そんなの自信ないよ」って、取り合わなかったんですけど、その後、上司からも勧められて、出る気になったんです。

 7月の県大会では「ブラウスの袖を作る」という課題で優勝。3カ月後、山口県で開かれた全国大会に出ました。このときの課題はブラウスのオーダー。課題は事前に出されるから、練習できるんです。でも、私が会社でしているのは、中国製商品の不良個所を直すこと。それより、ちょっと高度というか、やり方が違う。おまけに教えてもらえる人もいない。あんまり練習できずに迎えた本番。それでも、午前中は計画通りに運んだんですが、午後になると、あせってしまった。時間的な組み立てが狂い、なんとか終わらせたけれども、最後は雑になっちゃった。あきらめていたので、「金賞」って告げられたときはすごくうれしかった。これでみんなのもとに胸を張って帰れると。

 全国大会は2年後、日本で行われる第7回国際アビリンピック派遣候補選手の選考会を兼ねていました。でも、全国大会のことで頭がいっぱいで、国際大会までは頭になかった。1年後には、第1次派遣候補選手(強化選手)として全国大会の会場で課題をこなし、翌年の国際大会に向けて、時間配分など実戦的な感覚を養いました。

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 国際大会派遣が正式に決まったのは昨年5月ですが、間近にならないと、気持ちが入っていかなくて。エンジンが掛かり始めたのは、大会の2カ月ぐらい前から。家ではできないので、仕事の昼休みを使って練習しました。1時間の昼休みの、食事の後ですから、正味30分もない。ミシンを踏んだり、手作業をしたり。本番の1カ月前からは毎日練習しました。それでも、練習時間がなくて…。日は迫ってくるし、練習はできないし、プレッシャーに押しつぶされそうだったとき、会社から1日、練習時間がもらえたんです。すごく助かりましたね。時間配分の最終チェックができて。

 国際大会の出場選手は私を含め18人でした。半袖ブラウスのオーダーを受け、6時間以内にミシンや手縫いで作り、出来栄えを競う。

 中国、台湾、スリランカ…、選手は女性が多かったけれど、男性もいました。全国大会の課題は長袖ブラウスでしたから、それに比べると時間はあるな。そう思いました。

 結構、落ち着いてやれました。時間に余裕があり、ぎりぎりまで最後の点検をしました。不思議なんですけど、本番が一番よくできたんです。競技終了を告げられたとき、心の中では、「うまくできたなあ」と思いましたが、周りにはそれと裏腹のことをいったりして…。

 翌日、張り出された結果を見て、長年の努力が報われた思いでしたね。大会前に孫娘から「大会がんばってね。メダル絶対とってきてね」っていう手紙をもらってましたし、出るからには金メダルをという思いはありましたから。静かに(喜びを)かみしめました。同じ種目で戦った他国の選手に「おめでとう」って言われたときは感激しました。友好を深められたって、うれしくて。

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 モットーは「きれいに、早く」。これからは、今まで以上に腕を磨いて、何かの資格を取りたい。そんな気持ちになったのは、アビリンピックに挑戦したから。それまでは目標に向かって何かしようという思いを抱くことはなかったですね。大会に出たことで、あれも、これも、やらなくちゃならない、と忙しい思いもしましたが、得た物、学んだことはたくさんある。

 この年になっても、努力をすれば、達成感を味わえる。努力した分は必ず返ってくる。もちろん、それができたのは、家族や会社の支えがあったから、って感謝しています。

(2008/04/11)