産経新聞社

ゆうゆうLife

演歌歌手・小金沢昇司さん(49)


 ■反対押し切り施設に できることだけやる

 「親を老人ホームに預けることを親不孝だと思ってはいけない」。演歌歌手の小金沢昇司さん(49)は力説します。当初、決断に迷いはない力強い印象を受けましたが、話が進むほどに、葛藤(かっとう)の深さがしのばれました。(文・永栄朋子)

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 実家は中華料理屋で、おやじ亡き後、おふくろ(78)が1人で切り盛りしてました。僕は姉2人の末っ子長男。おふくろも1人じゃ寂しいだろうと、結婚を機に同居したんです。

 おふくろはずっと仕事仕事で明け暮れた人。孫も生まれ、何度か「隠居して、ゆっくりしたら」と提案しましたが、おふくろは「常連さんが待ってるから、店はたためない」と聞き入れませんでした。70過ぎても軽トラックを乗り回し、仕入れも仕込みもやって、元気だったんです。

 それが、71歳のときに「疲れた」と口にするようになったんです。そんなことを言う人じゃなかっただけに心配で。病院に連れて行ったら、「鬱(うつ)状態」だと言われました。店はたたみました。ただそれがよかったのかどうか。おふくろは極端に口数が減り、動作も遅くなりました。

 元気で気丈だった人がいきなりこれでしょ。人と交流した方がいいんじゃないかと、5年前に介護保険を申請。週に2回デイサービスに通い始めました。当時は要介護1。認知症はありましたが、徘徊(はいかい)や暴言はなく、ただ暗くて、おとなしい。ところが、だんだん唯一の楽しみだった僕が出ているテレビにも反応しなくなり、それからは坂を転げ落ちるようでした。

 介護認定を受けて2年後、昨日まで歩いていたおふくろが歩けなくなったんです。いくつか病院を回りましたが、原因は分からない。脳のどこかに問題が起き、足に指令が出ないと、そんな説明でした。

 年の割には筋力もあった。リハビリで治ると思い、立たせたり、歩かせたり。自己流は危ないから、家族それぞれがケアセンターにコツを聞きに行ったりして。しかし、あれよあれよという間に、足の筋肉は硬直し、今度は曲がらなくなったんです。進行を遅らせるため、薬を飲んだりもしましたが、個人差があるんでしょうね。とにかく症状は猛スピードで悪化しました。

 結局、2年で要介護2が5に。2年前、自宅近くの有料老人ホームに入りました。

 入居を決めるまでは、葛藤がありました。男って情けないですよ。下の世話でもなんでも、やろうと思ってましたが、実際に始まると、できない。おやじの世話ならいいけど、おふくろはきつい。

 僕の3人の子供のうち、一番下はまだ赤ちゃんだったし、僕は仕事で留守がち。何かあったら妻や子供が責められる。結局、ホームが最善と判断しました。

 入居については、姉たちとは何度ももめました。親を思う気持ちは一緒だけど、ベストだと思う方法が違う。兄弟だけに言葉も荒くなるしね。姉はおふくろを引き取ると言いましたが、嫁ぎ先は3世帯同居で、おばあちゃんもいる。無理がありますよ。

 結局、人生の師と仰ぐ人に「かっこつけるなよ。みれねぇだろう。施設入れるのを親不孝と思うな。逆にお母さんは子供のこと考えてくれたんだよ」と言われ、楽になりました。「オレが決めたんだから、いいんだ」と、姉たちの反対を押し切りました。

 今は時間があいたら、できる限りおふくろのところに顔を出します。孫たちを連れて、にぎやかに。おふくろの体調がいい日は散歩したり、家に連れ帰ったり。

 自分を産み育ててくれた人に、これが恩返しなのかといわれたら、分からない。ただ、ほかにやりようがない、というのが正直なところです。温泉に連れて行ったり、いいもの着せたり、やればできるけれど、今のおふくろがそれを望んでいるか? と考えたら、そうすることも自己満足に思えるし。

 今もたまに、おふくろも調子よく話せる日があるんです。そんな日は「やっぱり家に連れて帰ろう」「まだ大丈夫じゃないか」と思ってしまう。常にその葛藤がある。子供に迷惑をかけない子供孝行なおふくろだけに、ね。

 きっと介護には正解がないんだと思います。どの道を選んでも子供は悩む。だからただ、できることをやろうと、それでいいんだと、どこか自分に言い聞かせてるところがありますね。

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【プロフィル】小金沢昇司

 こがねざわ・しょうじ 昭和33年、神奈川県生まれ。昭和63年デビュー。平成4年「フィニッシュ・コーワ」のコマーシャルでお茶の間の人気者に。昨年、デビュー20周年を迎えた。最新アルバム「別れの街」には、母への思いを込めた「オモニ〜母へ〜」が収められている。

(2008/04/18)