産経新聞社

ゆうゆうLife

エッセイスト・真島久美子さん(51)(下)

真島久美子さん


同居の話が出たころの真島さんの父と母。父親はこのとき、すでにアルツハイマーに侵されていた=平成14年(真島さん提供)


 ■対照的な父母の老い方 それが人生と教えられ

 父親がアルツハイマーだと分からないまま、10年にわたり、父の暴言や奇行に振り回されてきたエッセイストの真島久美子さん(51)。40代も後半にさしかかると、通いの介護に体力が続かなくなり、見かねた夫が家を新築し、両親と隣同士に住もうと言ってくれました。しかし、一筋縄では行きませんでした。(永栄朋子)

 平成14年、父が再び、同居の話を持ち出し、夫が隣同士に住むことを提案すると、元ゼネコン勤務の父は大喜びで住宅展示場を見て回りました。急に生き生きしだした父を見て、気がまぎれるならいいかと。

 ところが、わが家が売れた後になって夫の親族が反対し、夫も「親族が反対するのに、強引には話を進められない」と言い出したんです。マイホームは購入時のほぼ半値で手放してしまったし、家ができるまで賃貸暮らし。夫は50代。娘たちはこれから教育費がかかる。頭に血が上って、思わず夫をひっぱたいてしまいました。離婚寸前の大げんかです。

                  ◆◇◆

 同居話は結局、なんやかやで1年半ほどして進展しました。ところが、いざ工事が始まると、父が昔の作業着を着て、現場を仕切りだしたんです。土地の基盤整備をするのに、ビルを建てる感覚で指示を出す。業者が「そこまでする必要はない」と言うと激高して…。

 業者に延々と自慢話をしたり、怒鳴りつけたり。私はその時初めて、父がアルツハイマーではないかと疑いました。母にぼけがあるのでは、と友人のケアマネから指摘され、不安になって読みあさった認知症の本に、父に当てはまる症状がいくつもあったからです。

 病院で診察してもらうと、やはりアルツハイマー。業者には「父はぼけているので」と、謝って回りました。そして、「父の建築費は、父のお金だからいいや」と腹をくくって好きにさせたんです。後に父が貯金通帳を見せにきたとき、数千万円あったはずの貯金は百数十万円になっていました。家一軒が父の高価なおもちゃになってしまったんです。

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 実親の介護って難しいですよね。若いころのさっそうとした姿を知っているから、現実を受け入れられない。父が私を頼っているのは分かっていました。でも、理不尽な態度や、動物のようになってきた顔つきに、私は生理的な嫌悪を禁じ得ませんでした。

 私が優しいと、父は穏やか。患者と介護者の気持ちはリンクします。だから、嫌悪感を抱くなんて一番いけないと頭では分かっていたのですが、自分の感情は抑えられなかった。

 父は17年の秋、精神病院に入院しました。入院させるのには葛藤(かっとう)がありました。でも、激高した父が私の頭に花瓶で殴りかかってきたとき、明らかに殺意を感じたんです。精神科医に「私は今まで甘く見て、後悔したことが何度もあります。入院させましょう」と言われ、もう猶予はない、夫や娘、家族を守るためには仕方がない、と決心したのです。

 父が入院して半年後、母は旅立ちました。隣同士で暮らしてしばらくして脳出血で倒れ、以来、わが家で介護していました。「おじいちゃんからあんたたちを守る盾になる。長生きしなきゃ」と言い続けた母は、もしかすると父が入院して、安心したのかもしれません。

 母は要介護5でしたが、最後まで理性があって、「ありがとう」の言葉を忘れない人でした。私がヒステリーを起こしても、どこか「自分が育てた娘だから」と達観しているような所があって、受け入れてくれた。介護する私も精神的に救われました。

 一方で、父は要介護1でしたが、暴言や暴力行為があって、本当につらいものがありました。

 病院から「会うと興奮するから」と、面会を止められ、父に会わなくなって1年たちます。もう、一生会えないのかもしれません。

 対照的とも言える父母の老い方から、学ばされたものは大きかった気がします。老いは、どろどろとした人間の生きざまであり、死にざま。介護は、それが人生よ、と教えられた過程でした。

(2008/06/06)