産経新聞社

ゆうゆうLife

女優、洞口依子さん(43)(上)


 ■“予防”できる子宮頸がん 病院選びに迷って出遅れ

 女優の洞口依子さん(43)は4年前、子宮頸(けい)がんで闘病生活を送りました。当初、子宮筋腫だと思いこんでいた洞口さん。思わぬ告知の衝撃を「現実離れしていた」と振り返ります。受診が遅れた経験をもとに、がん検診での早期発見を訴えます。(佐久間修志)

 子宮頸がんが分かったのは平成16年の1月でした。告知のときは、何て言ったらいいんだろう。ある意味、現実離れしていましたね。

 最初の受診先から紹介された病院で「手術しますから検査に回ってください」って言われて。そのときは子宮筋腫とばかり思っていたから、検査で3、4人の先生が「ああ大きいね」とか話してても、「大きい筋腫なのかな」とか考えてました。

 ところが、検査を終えてお昼すぎだったかな、先生から「子宮頸がんの疑いがあります」と言われて。先生のパソコン画面には、「子宮頸がん末期の疑い」とあって。テープが逆回転しているような感じで、「何を言っているのかしら、この先生」と。隣の夫を見ると、両目が点で口が半開き。死にかけの人形みたいになってた。それを見て、「ああ、大変なことになっちゃった〜」って涙が出てきたの。

 その日は、病院から家にどう帰ってきたか覚えていないんです。気がつくとカーテンも閉めないまま、冬のオレンジ色の西日が差し込んで。びよーんと伸びた靴下の先を猫がなめていて。コートも着たままでした。後からだんだん怖くなりました。がんってこんなに早くなるの、いつなったの、治らないの、って。

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 実は病院に行ったのは、調子が悪くなったずっと後。前年秋ごろから「どうもおかしい」とは考えていて。今思えば、予兆があったかも。でも、もともと生理不順なので、不正出血も「不順だから」って思ってた。ただ、だんだんひどくなるから、これは何かなあと。ずいぶん痛みを我慢してました。立ってられないくらいだったのに。

 結局は病院選びに迷いすぎちゃった。自分で決めつけていたんですよ。「きっと筋腫だろう。でも、この体の異変は本当に筋腫なのか、いや筋腫だ、きっと」って。

 筋腫なら婦人科に行かなきゃならない。そうすると、あの診察台に上らなきゃいけない…。そう考えると、できればいい病院に出合いたい、できれば女性の先生がいいなって、そう思っちゃった。

 変なところで完璧(かんぺき)主義なのよね。今回の病院選びだけでなく、日常でも。例えば、トイレットペーパーがいつも使っているものでないと、「買ってくるまで用が足せません」とか駄々こねたり。本当に挙げたらきりがないんです。

 記事を読む人に伝えたいのは、「子宮頸がんは、がん検診で早期発見すれば、大事に至らないで済む、予防できるがん」なんだってこと。経験を生かして、啓蒙(けいもう)活動もしているんです。7月にも沖縄でイベントをやるんですけどね。

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 手術も決断が必要でした。やっぱり、卵巣を取ることにためらいがあって。女優が“女”であることにこだわる職業だってこともあるかもしれないけど、傷も残るし、成功する約束もない。38歳でそんな選択を迫られて、放射線治療にしようかとか、いろいろ悩みました。

 そんなとき、夫の存在が支えになりましたね。思いのすべてをはき出せたし。今後、子供が産めないことも、あらゆる困難にも、すべて立ち向かおうと言ってくれました。

 病人てわがまま。最初はわがままをみんな聞いてくれるんだけど、最後は「いつまで甘えてんのよ」って1人、2人と消えていく。でも、自分の中では「こんなつらいのに誰も分からないんだ」って思えてくる。そんなとき、夫はそばにいてくれました。距離じゃなくて心がそばに。

 彼はのんびりやさん。何かアドバイスするときも、他の人が言うと「確固たる助言」みたいになるけど、彼が言うと、ほわほわほわ〜って心に入ってきちゃう。ある意味、得な人なのかもね。

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【プロフィル】洞口依子

 どうぐち・よりこ 昭和40年、東京都生まれ。60年、「ドレミファ娘の血は騒ぐ」(黒沢清監督)で女優デビュー。映画のほか、フジテレビ系「愛という名のもとに」などドラマにも多数出演する。昨年は闘病記「子宮会議」を出版したほか、ウクレレユニット「パイティティ」としても活動。今年7月に同名のファーストアルバムをリリース予定。

(2008/06/19)