産経新聞社

ゆうゆうLife

女優、洞口依子さん(43)(下)

 ■「誰が欠けてもだめ」実感 生きているといいことある

 女優、洞口依子さん(43)は子宮頸(けい)がんの手術後、子宮を失った喪失感から、スランプに陥ります。そんな洞口さんを立ち直らせたのも、やはり女優という仕事でした。「必要とされていることが分かったから」。闘病記の執筆もフィールドを広げるいい機会だったと考える洞口さん。今では「病気になったのはいいタイミングだったのかも」と前向きです。(佐久間修志)

 8時間にもなる手術でしたが、終わった後もいろいろ大変だったかな。正常な排尿ができるまでの検査もつらかったですし。でも、一番つらかったのは「生きることを放棄せざるを得ない精神状況に自分を追いやったこと」かな。自殺したくなっちゃったのよね。

 きっかけはこれ、と具体的に言えるようなものではないの。ただ今がつらい、今が生きられない。過去を背負って生きられないし、未来に希望が持てない。

 排尿が正常にならないうちにリンパ節転移が分かったり、化学治療後に退院しても、夢のような生活が待っているのではなくて…。なんでこんなに良くならないのって。ちょっと良くなるごとに一喜一憂してましたね。

 生きがいを見つけなきゃと、荒療治で仕事もしました。でも、自分がしっかりしていないのに人になりすますのはつらい。それにトイレもない場所で暑いだの寒いだの言いながらロケしたり、精神的な集中力も強いられるし。

 好きでやっている仕事だから恵まれてた。ただ、子宮をなくした喪失感とかで体も心も参ってた。「自分が自分とつきあっていけないズレ」に悩んで苦しんで、もがいていました。薬漬けだったし、お酒も加わってやさぐれた期間もありましたね。

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 けれど、回復のきっかけも女優という仕事が与えてくれたんだと思います。仲の良かった監督が私を主演に、「マクガフィン」という短編映画を作ってくれて。病気がなかったらこの映画はなかったなあ。

 監督が沖縄からお見舞いにきてくれて、「僕ができるのは映画を作ることだから、主演にしてあげよう」って書いてくれたのね。しかも、妊婦役で。子宮もないのにね。最初はどきっとした。「どういうつもりよ」とか思って。でも「地球にいいものを生む役だけど」って言われて、すごくうれしかった。

 今までなら「この役やってください」ってキャスティングされて、何となくやって、終わるとお疲れさまという感じだけど、この映画は低予算ってこともあって、仲間と力を合わせて作った感じ。

 私も朝早く起きて、みんなのコーヒーいれたり、不眠不休のスタッフの代わりに運転を買って出て、ロケ地の沖縄本島の北部から那覇まで運転したり、すごく楽しかった。

 それで、自分の必要性というか、求められてるって実感できて、生きて行こうって思った。この映画作りでは、「ああ、誰が欠けてもだめなんだな」って思えたんです。

 沖縄は1年前にも来ていた所で、その時もすっごく救われた。海にぷかぷか浮きながら、生きているといいことがあるんだな。生きていてよかったなという喜びをかみしめてました。自然ってそういう優しいところがある。遠くの遠くのすっごい丸く見える水平線を眺めて、ああここまで来たんだって。

 それまでは、お風呂に入れないとか、傷口が癒えないうちは「だめだめ」ばかり。そうなると、自分を過保護にしがちで。これはだめ、あれもだめって。でも、ぽっかり海に浮かんで楽になれました。

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 闘病記を書いたのも良かったんです。女優業が軌道に乗ってなかったこともあって、1人でできる仕事がほしかった。女優業はみんなで作品を作るものだけど、執筆は私一人。自由にできるし、評価が自分に跳ね返る。自信がつくんじゃないかなって思った。

 それに、自分の記憶を呼び覚ます、ある種の精神療法みたいな面もあった。つらくて吐きながら書いたときもありましたけど。この紙に焼き付けたい感じだった。自分の病気のこととか、生い立ちのことを書くのも、絵でも音楽でもない、文章だって思って。

 もしかしたら、いいタイミングだったのかも。そろそろ自分で何かしなきゃっていう年齢だったのかな。がんにならなければ、それにも気づかず、他人からおぜん立てされたものに乗っかって、当たり前のように生きていたかもしれないですから。今後は、女優としていろんな作品に出て、いろんな人と出会って、芸に磨きをかけて。それからウクレレのアルバムを出して。執筆も次回はハードルを上げて、小説を書いちゃおうかな、とも考えています。

(2008/06/20)