産経新聞社

ゆうゆうLife

山口和浩さん(27)(上)


 □自死遺族支援ネットワークRe代表

 ■仲間で体験語る重要性 父親との関係を再構築

 日本ではこの10年間に、交通事故の犠牲者の4倍にあたる約32万人が自ら命を絶っています。平成18年には自殺増加を社会問題として考えようと、自殺対策基本法が成立。自死遺族らを中心に、自殺を「語ることのできる死に」との動きがあります。自死遺児の一人で、現在は「自死遺族支援ネットワークRe(アールイー)」を主催し、セーフティーネットづくりに奔走する山口和浩さん(27)に話を聞きました。(永栄朋子)

 中2の夏、父が自殺しました。父は農業を営み、収入も不安定な面があり経済的には苦しかったんだと思います。借金の返済もうまくはいかず、金融機関から督促などが増えるにつれ、父の酒量も増えました。

 お盆過ぎ、父が「もうやっていけん。死にたい」と。しばらく魂が抜けたようでした。心配でしたが、父が子供をおいて死ぬわけない。「ただ疲れているだけだ」と思いこんだんです。

 1週間ほどしたあの日、父はいつになく穏やかで、いい顔をしていました。「きっといいことがあったんだ」と、ほっとしました。しかし、父は真夜中に命を絶ちました。手帳には僕たち子供の名前と「ごめんね」と書かれていました。

                   ■□■

 あの晩、僕は祖母に「お父さんがいない。探してきて」と起こされたのに、部活で疲れていて眠ってしまった。明け方、再び起こされ、変わり果てた父を見つけたんです。死亡推定時刻は午前2時から5時。最初に起こされた時間でした。僕が父を殺してしまったんじゃないか−。気づけるチャンスがあっただけにそう思ってしまう。自責の念は今もぬぐえません。

 父の妹夫婦が自分の子供と分け隔てなく育ててくれ、生活は表面上、何も変わらないほど、よくしてもらいました。父の死については家族も含め話したことはありません。誰も聞かなかったし、僕も言わなかった。言う必要もないと思っていました。ただ、父の死後、自殺に対する世間のイメージの悪さに比べ、僕の中では「自殺はそんなに悪いことなのか?」という思いが常にありました。

 授業で「いじめと自殺」について話し合ったとき、自殺は「身勝手な死」「弱い者がするもの」と否定的な意見が相次ぎました。でも僕は「自分が同じ状況だったら、死ぬかもね」と思ったし、今でもそう思うんです。生きていることの方がつらいということもあるんじゃないかと。背景を無視して、自殺という手段に単純にノーが出されるたびに、悔しさを感じました。

                   ■□■ 

 転機は高1の夏。あしなが育英会の夏合宿でした。親が死んだ時期や状況、その後の生活などを、1人ずつ話すプログラムがあったんです。周りはみんな病気や交通事故で親を亡くした人。そんななかで父親が自殺したなんて話していいのか、葛藤(かつとう)がありました。

 周りがどんどん話し終えていく中、手を挙げられませんでした。最後にはなりたくないから手を挙げたけれど、指された後も、言葉が出ませんでした。「自殺したなんて、誰にも言えなかった。言ったら、なんて思われるんだろうって、怖くて言えなかった」。それだけ言うのに、数十分かかりました。できたらそのまま去りたかった。でも、話し終えて感じたのは、「受け入れられた」という実感でした。すごく精神的に楽になれた。今の活動につながる、自らの体験を語る重要性を感じた最初の出来事でした。

 あしなが育英会での語りは大学卒業まで毎夏、経験したのですが、自ら語り、ほかの人の体験を聞く過程で自分の中で父との関係を再構築できたんです。父の死に縛られずに生きることができるようになったというか。

 死を選んだ父の気持ちは分からない。でもひとつだけ言えるのは、あのとき死を選んだ父の苦しみは、想像を絶するものだったんだろうと。父は死にたくて死んだわけじゃない。それは僕自身、子供を持った今、より強く感じるんです。

                   ◇

【プロフィル】山口和浩

 やまぐち・かずひろ 昭和56年、長崎県生まれ。ソーシャルワーカー。大学時代に遺児の仲間と手記「自殺って言えなかった。」(サンマーク出版)を出版。実名と顔を公表して自殺対策にかかわってきた。大村共立病院で働くかたわら、NPO法人「自死遺族支援ネットワークRe」を設立、代表を務める。

(2008/07/10)