産経新聞社

ゆうゆうLife

山口和浩さん(27)(下)

月1回のReの集いには県や市の保健師らも協力している。集いを終え、反省会を開く山口さん


 □自死遺族支援ネットワークRe代表 

 ■文集が評判で首相官邸に「苦しい」と言える環境を

 中学時代に父親を自殺で亡くした山口和浩さん(27)は大学生のとき、初めて同じように親を自殺で亡くした遺児に出会いました。「ひとりじゃない」という安堵(あんど)感はやがて、同じ境遇の子供たちに「堂々と生きていい」というメッセージを伝える行動に発展します。平成16年には首相官邸に小泉純一郎首相(当時)を訪ね、対策を求めるなど、自殺問題に大きな一石を投じました。(永栄朋子)

 大学生のとき、あしなが育英会で自死遺児だけの合宿が開かれました。ちょうど中高年の自殺が問題になっていた時期。あしなが奨学生にも自死遺児が増えており、職員の方が適切なサポートを知りたいと、僕らに声をかけてくださいました。

 参加者はみな「自殺って言えない」という体験をしていました。自殺は「個人の問題」という風潮でしたから。でも、年間3万人も自殺者がいるのに、本当に個人の問題なのか。もっと社会的な問題として考える必要があるんじゃないか−。合宿やシンポジウムなどに参加し、話し合いを重ね、そんな疑問が生じてきました。

 仲間の1人が自殺の問題を訴えるため、体験文集を作ろうと提案したんです。そのときにまとめた「自殺って言えない」は評判になり、それがきっかけで、仲間と首相官邸を訪ねることになりました。会見では実名と顔を公表しました。伏せれば、自殺は伏せなければいけないという暗黙のメッセージを出してしまう気がしたからです。

                 ■□■

 大学卒業後、児童福祉施設に就職しました。仕事をしながら、17年、長崎に自死遺族支援ネットワーク「Re(アールイー)」を立ち上げました。僕には支えてくれた人がいたから、やってこれた。その恩返しの気持ちがありました。「Re」にはメールのレスポンスという意味があります。大切な人を自殺で失った人には、亡くなった人と自身の体験を何度も見つめたり、考えたりすることも重要。それには同じような体験をした人と、お互いの思いを語りあうことが大切だと思います。メールが返信、返信とつながるように、いろんな思いが行って帰って、行って帰って。参加者同士が安心したつながりを作り、それぞれの再出発の場になれば、と思ったんです。

 集いは月1回ですが、初回の参加者がこう言いました。「行くと決めた。電話して『行きます』と連絡した。車で向かって駐車場についたとき、降りていいものか悩んだ」と。遺族にとって、自殺の話をするのはハードルが高い。彼の言葉には、同じ体験をした人がいると分かっても、一歩を踏み出す大変さがにじみ出ている気がします。

                 ■□■

 報道では、自殺にいたる状況は省かれてしまう。でも、その背景にもさまざまな何かがあり、自殺は決して特別な人だけが選ぶものじゃない。生きづらさや1人で抱えきれない問題を感じ、ごく普通の人が選んでしまう。

 遺族と話をすると、最初に「実は」という言葉が付きます。「実は私の家族も自殺で亡くなりました」と。「実は」とつくのは、「自殺」が社会の中ではまだまだ語ることができない死であることを示している気がします。遺族の多くが「まさか自分の身に降りかかると思わなかった」ともおっしゃる。でも、今、だれもが自殺について考え、準備ではないけれど、セーフティーネットを作っておく必要があると思うんです。

 大切な人を亡くした子供が悩んだり、苦しんだり、悲しんだりすることは不思議じゃない。ただ、苦しかったら苦しいと言える環境は必要です。遺族の会は少ないですが、そこで少しずつ回復しながら、卒業する人が同じような場所や役割を地域で作ってくれたらと願っています。

 家族や近しい人だけで自殺を救うのは難しい。身近な存在だから、変化や予兆にも気付きづらい。だからこそ、自殺を考える人には、行政や民間の相談窓口を、残された家族には、遺族の会の存在など、情報を発信する必要があります。中高年が亡くなったら、残された家族は経済的に大変で、遺族の会にも出てこられません。語り合うには生活を落ち着いて営める環境が不可欠ですが、そこは社会がサポートできると思う。

 自死遺族の問題は、周囲が引き受けられるものと、個人で乗り越えるしかないものがあります。それを分けて考えないと。他人と分かち合える部分をいかにサポートできるか、また、遺族が抱えている問題と向き合える状況を、社会がいかにつくっていけるかが、課題だと思っています。

(2008/07/11)