産経新聞社

ゆうゆうLife

元プロ競技ダンサー・吉野ゆりえさん(40)


 ■4度の手術を経て闘病中 責任を取るのは、自分の体

 ミス日本、社交ダンス界の世界的トッププロ。華やかな道を歩んできた吉野ゆりえさん(40)は3年前、難病、平滑筋肉腫と診断されました。吉野さんは4度の手術を経て、今も闘病中。「病気で最後に責任を取るのは自分の体。生きるために必要な手術や治療の“手段”については、主張し、選択して決める」と、揺るぎがありません。(文・横内孝)

 体に変調を来したのは、平成15年秋でした。オーストラリアで、急に右の下腹部の激しい痛みに襲われたんです。現地のクリニックで「急性虫垂炎」と診断され、手術のため、大きな病院に運ばれると、「卵巣嚢腫(のうしゅ)じゃないか」と。痛み止めを打って、急遽(きゅうきょ)日本に戻り、大学病院の産婦人科に行きました。

 すると、今度は「卵巣が腫れているだけ」と言われ、それから3カ月に1度、定期検診に通いました。1年以上過ぎた17年1月、再び激痛に見舞われ、病院に駆け込むと、10センチ大の腫瘍(しゅよう)が見つかったんです。「おそらく子宮筋腫じゃないか」というんです。

 別の大学病院でも診てもらいました。最初の先生を信頼しないわけではなくて、情報は多い方がいい。診断が同じなら安心するし。ところが、「卵巣嚢腫じゃないか」って。結局、病名ははっきりしませんでしたが、どちらの先生からも「良性でしょう」と言われ、腹腔鏡手術を勧められました。

 実はもう1人、意見を聞いたんです。手術以外の治療法はないかと、相談に行った3つ目の病院で「腫瘍が10センチ大なので、悪性を疑います。私なら、腹腔鏡でなく、開腹してきれいに取ります」と言われました。

 後で考えると、その先生が正しかったんですが、その時は開腹は怖いという思いがありました。「命より大事なものがあるのか」と言われてしまうかもしれませんが、女性としては、できるなら傷は小さく、少ない方がいい。

 いい方向に考えたいという心理も働き、そんなはずない、良性だと信じて、2件目の大学病院で2月、腹腔鏡の手術を受けました。

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 退院し、手術から半月たったころ、病院から呼び出されました。病理検査で「悪性」と分かり、「平滑筋肉腫というがんだ」と告げられました。初めて聞く病名でしたし、ショックというより、何が何だか分からなかった。

 肉腫はがんに比べ、患者が少なく、研究は遅れ、専門家が少ない。一般に抗がん剤や放射線が効きにくく、治療法の開発も遅れているんです。それでいて再発、転移が多く、本人に自覚症状がない場合が多い。

 私も、再発の目安である半年が過ぎ、ほっとしたのもつかの間、11月に再発が分かり、翌月、2回目の手術を受けました。前回は悪性と分からず、骨盤内で切り刻んでしまったため、開腹手術では骨盤内の11カ所から、おびただしい数の腫瘍(しゅよう)が見つかったそうです。

 肉腫というのは本当にやっかいで、手術で目に見える範囲で取っても、どんどん出てくる。まるで雨後のタケノコのように。出ては取る、その繰り返しなんです。これまでに4度の手術を乗り越えてきました。

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 先生や手術や治療は手段であって、目的ではない。私の目的は生きること。だから、手術や治療法について、私はかなり主張する患者です。先生の判断で勝手にされたら嫌じゃないですか。子宮と卵巣は温存してほしい。一応、自分の意思と希望は言う。もちろん、命が大事なので、そこにできたら別ですが…。

 病気の治療は株の投資と同じだと思うんです。専門家の証券マンに勧められた株を買う。仮に損をしても、自分の責任ですよね。病気でも、先生方の意見、アドバイスに従っても、結局、責任を取るのは自分の体なんです。

 誰のでもない、自分の人生だから、主張しないと、後悔する。自分で決めたら、仮に悪い結果になっても、潔くあきらめる。悪いことこそ、自分で消化しないと、ストレスになる、自分にとってよくないと思うんです。

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【プロフィル】吉野ゆりえ

 よしの・ゆりえ 昭和43年、大分県生まれ。筑波大在学中に「ミス日本」に。卒業後、社交ダンスのプロとしてイギリスに10年留学し、国内外の競技会で活躍。元全日本ファイナリスト。現在、世界ダンス議会国際審査員。日本ダンス議会審査員。日本ブラインドダンス協会理事。二ツ森亨ダンスアカデミー所属。フリーアナウンサー。今年5月、闘病記「いのちのダンス〜舞姫の選択〜」(河出書房新社)を出版。

(2008/08/21)