□元プロ競技ダンサー
■肉腫は“忘れられたがん” 多くの人に知っていただく
難病の平滑筋肉腫と闘う吉野ゆりえさん(40)は、4度の手術を乗り越えてきました。「一人でも多くの人にこの病気を知ってもらいたい。そして、肉腫の専門機関を作り、研究、治療法の開発を進めてほしい」。そう願う吉野さんは目標に向かって、明るく楽しく、建設的に生きています。(文・横内孝)
悪性腫瘍(しゅよう)の「がん」には2種類あって、「癌(がん)」と「肉腫」があります。いわゆる「がん」はその総称。ところが、「がん」イコール「癌」だと思っている方がほとんどなんです。ですから、肉腫は“忘れられたがん”といわれています。これは世界的なキャッチフレーズです。
だから、私はひとりでも多くの人に“忘れられたがん”である肉腫、平滑筋肉腫を知ってもらいたい。肉腫を世の中の方に知っていただくには、私が患者であることを公表するのが効果的ではないか、と。闘病記をまとめたのも、ドキュメンタリーに出演したのも、そのためです。
それまで、周りには、病気のことは隠してきました。何より、母に心労をかけたくなかったし、周りに気を使ってもらうのは、かえって負担になると思ったからです。
昨年暮れ、帰省の折、母に病気のことを話すと、「生きていてくれるだけでいいから」と、私を応援してくれました。
この病気になって、感謝の気持ちが一層、強くなりました。今、免疫療法を受けているんですが、すごく怖い。それでも、このくらいの治療はがまんしなきゃと、何事もありがたいと思えるようになりました。
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私は平滑筋肉腫という難病ですが、不幸だとか、かわいそうだとかは全然、思わない。ほかにも難病の方はいらっしゃるし、障害の方もいらっしゃる。病気や障害でなくても、悩みを持つ方もいらっしゃる。みんなそれぞれ、何かを持っていると思うんです。わたしはたまたま平滑筋肉腫だっただけ。みんなと何もかわりはない。
どうせ生きるなら、毎日、明るく建設的に生きないと損だと思っているんです。病気だからって落ち込んだり、悩んだり、人やモノにあたったりしたら、もったいない。そんな時間があるなら、その間、目いっぱい、楽しく生きればいい。
「強いね」って言われますが、自分ではそうは思わない。もともと能天気な性格だからでしょうかね。私はみんなに、パワーとエールを送りたいんです。
闘病記を出版して、病気や障害をお持ちの方やその家族の方からたくさん手紙をいただきました。すごくうれしかったのは「あなたが、がんばって生きていることが私の励みになっている。私もがんばらなきゃ」「自分や家族のことを考え直すきっかけになりました」という言葉でした。人の喜ぶ顔を見ること、それを実感できることが、何よりの喜びです。
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私のライフワークは2つ。1つは視覚障害の方にダンスを教えること。私には病気があり、彼らには障害がある。でも、前向きに明るく生きよう。ダンスを通じて、そういう姿勢を伝えたい。
もう一つは、肉腫をもっと知ってもらうこと。そして、アメリカにあるような、肉腫患者のための統括的・総合的な研究開発治療機関「サルコーマセンター」を早く作りたい。患者が少なくても、肉腫の種類が多くても、情報を一カ所に集められれば、研究や治療法の開発も進むと思うんです。
そのためには、もっと厚生労働省の方と話したり、署名活動をしたり、患者会を立ち上げたり…。1人でできる問題ではありません。いろいろな方の協力を頂きながらじゃないと。
がむしゃらに突き進む私に、周りは「そろそろ自分の体のことも考えなさい」と気遣ってくれますが、「無茶はしないけど、ちょっとの無理はさせて」と。じゃないと、何もできない。できることは、させてほしい。ちょっとの無理が生きがいになっていて、それが肉腫と闘う免疫力を高めることにもつながっていると思うので。
どこまでできるか分からない。遅々として進まずという感じになってしまうかもしれないし、逆にうまく進むかもしれない。自分でも分かりませんが、一歩、一歩、みんなで力を合わせて夢を実現していきたいと思っています。
(2008/08/22)