産経新聞社

ゆうゆうLife

俳優・藤村俊二さん(73)(上)


 ■がまんしないことが医師とのきずな生む

 俳優の藤村俊二さん(73)は約20年前、胃がんを経験しました。そのときの医師といい関係を築き、「がまんしない、自分で悩みを抱え込まないことが、医師とのきずなを生む」と言います。(文・北村理)

 がんと分かったのは、全くの偶然でした。

 17年前、友人の病院が分院を出すというので、お祝いの花がわりに、わが身を差し出したんです。人間ドックを受けた結果、初対面の先生だったのですが、あっさり「藤村さん、がんかもしれません」とおっしゃった。

 特に自覚症状もなかったのですが、「じゃあ、どうすればいい」と聞いたら、「切れば、治ります」というから、その通りにしたんです。

 ただ、芸能界の仕事をしてますから、予定は数カ月先まで入っていた。それで、いろいろ調整して、先生には半年ばかり待ってもらって、胃を3分の2ほど切除する手術を受けました。

 常に人に見られる仕事だし、僕の年代は、ほかの人に自分の病気のことを話したら負担をかける、と考えるものです。手術から退院までの1カ月あまり、「海外ロケに行ってくる」と言って、入院したんです。お土産まで用意してね。海外にはよく行っていたので、土産話にも事欠きませんでした。

 当時は、がんを告知するかどうかが話題になっていたころ。もし、外に知られていたら大変だったでしょうが、ばれなかった。

 6年ほどたち、時効だろうと思ったので、「徹子の部屋」でペロッと言っちゃったら、「藤村氏、がんを告白」なんて大騒ぎになりました。テレビで話したときががんだったと思われたみたいで。それぐらい、入院当時は全く周囲に悟られず、スムーズだったんです。

 その後も仕事を続けられたのも、告知段階から、先生と何でも話せて、病院とも信頼関係ができていたからだと思います。病気と闘ってくれるのは先生たちですから、甘えればいいんだと思います。

 患者は元の生活に戻るために治療を受けるのですから、そのために、どこが痛いとか、どうしたいとか言えばいい。それは、患者にしか分かりませんから。

 僕は告知を受けてからも、やりたいことをやって、普段と変わらない生活をしてました。告知されなかったら、普段の生活を続けただろうし、治療が遅れて深刻な事態になっていたかもしれませんね。僕は現実を受け止めるタイプだし、先生が性格や仕事を理解して、うまく告知してくれたのかもしれません。

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 病院では、わがままもしました。手術して3週間ほどで食べられるようになって、非番の看護婦さん6人ほどを誘って、うなぎを食べに行ったんです。これぐらいいてくれれば、倒れても平気だろうと。うなぎを食べれば、元気になるという年代なんです。少しでも早く、普段の生活に戻ろうとしていたんですね。

 病院の方でも、「寝ているより歩いた方がいい」とか言って、あちこち散歩とか連れて行ってもらったし。病室が新生児室に近かったせいか、雰囲気も明るくてね。

 僕はがんになったけど、必要以上にがんのことを知ろうとしませんでした。知れば知るほど、やはり落ち込みますよ。そうすれば、普段の生活に戻りにくくなる。

 以前、お医者さまに「たばこやめなさい」といわれたとき、「じゃあ葉巻にします」と言ったんです。好きなたばこをやめることで、余分なストレスを抱え込めば、かえって僕の体に良くないと思いますから。

 知人、友人でもがんになる人がいますが、とにかく「大丈夫だから」と言って、余分なことを考えないように、できるだけ普段通りの生活を勧めているんです。

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【プロフィル】藤村俊二

 ふじむら・しゅんじ 昭和9年、神奈川県鎌倉市生まれ。早稲田大学第一文学部演劇科を中退後、東宝芸能学校を1期生として卒業。日劇ダンシングチームに所属。以後、振付師や俳優、タレントとして活躍。近年は、CMやテレビ番組ほか、映画「デスノート」などに出演。

(2008/09/25)