産経新聞社

ゆうゆうLife

元シブがき隊 布川敏和さん(43)(上)


 ■家族が明るく健康ならこれに勝る幸せはなし

 元シブがき隊の布川敏和さん(43)の次女、花音(かのん)ちゃん(7)は生まれてすぐ、腫瘍(しゅよう)で手術をする経験をしました。「しばらくは、なんでうちの娘が、と思っていた」と苦悩した布川さんですが、「何があってもポジティブに乗り切る」と決心、娘の闘病生活を支えました。(文 佐久間修志)

 花音の病名は「頭蓋底(ずかいてい)奇形腫」。生まれつき、頭蓋骨の底からへんとう腺の奥周辺にかけて腫瘍があったんです。妻は妊娠中、「羊水が多い」と診断されたのですが、その時は気にしてはいませんでした。

 ところが、出産に立ち会ってビデオカメラを回していたら、羊水を吸い出す管がなかなか入らない上、初乳も飲みづらそうで、どんどん顔色が悪くなっていくんです。

 転院が決まり、大変なことになったと思いました。出産した病院だって総合病院なのに、転院しなければいけないほど、本当にひどい病気なんだと。転院先で検査を受け、先生から詳しい病状説明を受けました。

 ショックの連続でした。頭蓋底奇形腫という病名も初めて聞きましたし、腫瘍のできた部分も、血管や神経が多くて非常に取りづらいと素人でも分かります。説明した先生を恨みたい気分でしたね。「なんでうちの子が」「これが夢ならば…」って、何度も何度も思いました。

 さらに残酷だったのは、治療のため、のどや胃に穴を開ける手術をするかもしれないということ。最終的にのどに穴は開けませんでしたが、「言葉の発達が5歳まで遅れるかも」と聞いたときには、絶望的な気持ちになりました。

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 花音は3人目。当初は予定していませんでした。ところが、私の妹に赤ちゃんが生まれたとき、母の体調が悪く、わが家が妹と赤ちゃんの静養場所として、実家代わりになったんです。それから布川家は完全に「赤ちゃんモード」。

 子供もそうですが、赤ちゃんは特別。場が華やぎますよね。妹親子の滞在は2週間でしたが、ウチの長男、長女は、赤ちゃんがかわいくて、つきっきり。いなくなったら寂しくなったらしく、「弟が欲しい」「妹が欲しい」と言い出しました。赤ちゃんのかわいさにやられたのは僕ら夫婦も同じで、2人で「つくるなら今だね」となったんです。

 名前もいろいろ候補がありましたが、「花」は使いたいなと。あとは響きで決めました。でも、生まれてすぐ病気が分かったので、マスコミ発表は延期。そうしたら、後に生まれた野々村真君のお子さんが同じ呼び名でびっくりしました。

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 手術は全部で4回でした。胃に栄養を流す管をつける「胃ろう」の手術、腫瘍を取る手術、胃ろうを外す手術、そして再度、腫瘍を取る手術。だけど本当に何度もさせたくなかったよね。先生を信頼しているけど、百パーセント大丈夫とはいえないし。

 「胃ろう」も、手術が成功したと聞いたときはうれしかったけれど、おなかに穴を開けた花音を見たときは、悲しくなってしまいました。

 でも、能天気に明るく振る舞うよう努力しました。ポジティブに。病院に行くまではいろいろ考える。でも、病院では悲しい顔をできないじゃない? 病院に来ていたほかの親御さんもみんな明るかった。僕のブログは「日々是好日」というタイトルですが、前向きに嵐の日を乗り切るから、晴れの日がありがたく感じるんだと思う。

 結局、腫瘍はすべてを取り切れませんでしたが、良性で、神経も傷つかなかったので、花音はどんどん回復しました。1歳になるころには、おもちゃを投げ飛ばしたり、何でも食べるようになりました。1歳半を過ぎたころ、最後の手術を終えて退院しました。

 今も定期的に検診を受けています。毎回、結果を聞くまではどきどきしますが、もう安全度は高くなっています。

 花音が病気になって、普通の他愛もない生活が本当に幸せなんだと感じました。ぜいたくの価値観が変わるというのかな。家族が明るく健康、これに勝る幸せはないんだなって思います。

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【プロフィル】布川敏和

 ふかわ・としかず 昭和40年、神奈川県生まれ。15歳でジャニーズ事務所に入り、56年にテレビドラマ「2年B組仙八先生」(TBS)でデビューした。翌年には本木雅弘、薬丸裕英と組み、「シブがき隊」で歌手デビュー。平成17年には映画「バッシュメント」で監督。

(2008/10/02)