産経新聞社

ゆうゆうLife

歌手・川村カオリさん(37)(下)

コンサートで熱唱する川村カオリさん(カルバリー社提供)


 ■3年目にがん再発転移 闘病の経験を歌に託し

 乳がん治療で左胸を失った川村カオリさんは、手術や抗がん剤治療を乗り越え、芸能活動を再開しました。しかし、病魔は3年を待たず、再び川村さんを襲います。「幼い娘を残して死ねない」。強い意志で川村さんは再発・転移を公表しました。くしくも、デビュー20周年。早期発見の大切さ、応援してくれるファンへの感謝−。「あふれる思いを曲作りに託したい」と、前に向かって歩き続けます。(篠原那美)

 乳がんの手術は、悪い部分を外科的に取り除くので、摘出すれば、大丈夫だと思いがち。早期発見で手術を受ければ、90%は完治すると一般的にもいわれていますし、手術後、半年間の抗がん剤治療を乗り越えたら、生活は以前のペースに戻っていました。

 再発・転移が分かったときには、ああ私は、はずれくじを引いちゃったんだなと思いました。医師も言っていましたが、病気と向き合い、なぜ乳がんになったのか、自分の生活を見つめ直さないと、90%の方には入らない。今から思うと、ハードワークだったことなど、反省点は確かにあります。

 症状は去年の5月に出始めていました。胸部が痛くて、病院に通っていたんですが、検査をしても異常はなかった。整形外科で診てもらうと「胸部関節炎」という診断。病名がついて、ものすごく安心したんです。ああよかった。再発じゃなくて、関節炎なんだって。

 でも、もらった薬が、いつまでも効かなかった。針治療に通ったり、痛み止めの注射を打ったりしていましたが、そうこうしているうちに、首の回りに、しこりができた。

 暮れも押し迫った時期に検査し、年が明けて1月4日。結果を聞きに行くと、診察室で先生が悲しい顔をして待っていました。がんはリンパ節、骨、肺に転移していました。

                ◇ ◇ ◇

 小学1年の娘には、彼女に分かる言葉で病気のことを伝えています。

 左乳房の全摘出手術をしたとき、娘はまだ3歳でした。手術後、一緒にお風呂に入ったとき、娘に言われました。「ママ、何でおっぱい一個ないの?」。はて、どう答えよう…。とっさに「悪い虫さんがきてね。ママのおっぱい、一個食べちゃったの」って教えたんです。

 そんな会話をしていましたから、今回の再発・転移も「ママの体に、また悪い虫さんが入っちゃったんだよね。寝ている時間が多くなるけど、ごめんね」。そう話しました。

 私は結婚前に、母を乳がんで亡くしました。母に孫を抱かせてあげられなかったことを、すごく悔やんでいるんです。だから、私は、娘が孫を産むまでは、がんばって生きたい。娘を残して死ぬわけには、いかないんです。

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 今年初めて、乳がんの早期発見を促す「ピンクリボン」の活動に参加しました。女性は結婚すると、妻や母という家族の大切な柱になりますよね。でも、日本人独特の奥ゆかしさなんでしょうか、家族のことを優先し、自分のことは後回しにしてしまう。だけど、年1回は乳がん検査を受けてほしいです。

 10代、20代の女性にも、乳がんに対する意識を高めてもらいたい。その思いは、左胸を失った後、自伝「へルター スケルター」を出版したときから変わりません。この本で、私は左の乳房を失った自分の写真を公開しました。

 女性が乳房を失うのは、体の一部がなくなる以上に、精神的に多くのものを失います。私のような思いをするのは、ひとりでも少ない方がいい。特に、私のファンは若い世代が多いから、まだ恋愛もしたいだろうし、子供も産みたいだろうし、夏場におしゃれもしたいだろうし。こんな体になってしまうんだよと、言葉でなく、リアルに見せることが大事だと思ったんです。あの本を出版した意味は、あの写真一枚にあったと思っています。

 10月1日に、ブログで再発・転移を告白して以来、多くの方から励ましの言葉をいただいて、改めて言葉の大切さ、思いを伝える大切さを教えてもらいました。あれだけの優しさ、思いやり…。言霊ってあるんだなぁ、と。

 今、伝えたいことが心の底からあふれています。音楽は私にとって、ライフスタイルそのものですから、これまでの経験は曲作りに色濃く反映されるはず。ここ8年くらい英語の曲しか歌っていませんが、最近、久しぶりに日本語で詩を書いているんです。

 デビュー20周年を記念するアルバムが、どんな作品に仕上がるのか。私自身、今から、とても楽しみですね。

(2008/11/07)