産経新聞社

ゆうゆうLife

画家・安野光雅さん(82)(上)

(撮影・瀧誠四郎)


 ■死を意識し身辺整理 残ったものは「誇り」

 画家、安野光雅さん(82)は平成17年2月に「肺がん」だと分かりました。以来、死を意識し、身の回りの本を片付け、生き方を再考した安野さんは「虚栄心や劣等感など余計な気持ちをはぎ取ることを考えてみたときに残るのが『誇り』です」と語ります。(文 竹中文)

 平成16年7月に経験したことがない「恐怖」とでもいうような感じの胸の痛みを体験しました。家で寝ていたら、2時間くらいで痛みは治まったのですが、作家の澤地久枝さんがファクスで都内の診療所を紹介してくれたので診察へ。検査の結果、狭心症と判明し、紹介された東京都の榊原記念病院で手術をしました。

 術後の様子を見るための定期検診を続け、半年ほどたった平成17年2月、今度はレントゲンで4センチほどの影が見つかったのです。それで、国立がんセンターで精密検査をして、がんの存在が明らかになりました。

 レントゲンに映っていた影を見たときは「せんべいみたいだな」と思いました。常識的に考えれば、影を立体でとらえることができるのでしょうけど、私は平面に描いている絵描きなので、フラットな影だと思っていました。だからお医者さんから「この影には奥行きもあります」と言われたときは、どきっとしましたよ。

                ■   ■

 がんの告知はしないものだという考え方もありますが、「真実は伝えたほうがよい」とずっと思っていました。だから、知らせてくれたお医者さんには感謝しています。いつかは死ぬという覚悟はできていましたが、死はあまり先の話ではなさそうだと改めて気付かせてくれましたしね。生きている時間がもったいないので、その時間を一層、大切にするようになりました。

 書斎にあった本の処理をしたのも、死を意識したからだといえます。死後に身内に面倒をかけないために、部屋いっぱいに置いてあった本をほとんど売りました。金額がいくらになったかは覚えていませんが、自分の本だけはいくつか残して、価格が高い資料や画集もすべて売却しました。

 この一掃で後悔したこともあります。本が見あたらないときに「もしかしたら売っちゃったのかな」と思うようになったからです(苦笑)。あきらめた後になって見つかったりもして(笑)…。今でも本探しには悩まされています。

 ただ、整理することで、自分に関する無駄なものをはぎ取ることができて、よかったと思っています。いろんなものを墓場まで持っていくわけにはいきませんからね。

 本など物理的なものだけでなく、気持ちの整理もしました。

 死ぬ直前に、残るのは何だろうと考えて、自分の中にある見えや虚栄心、劣等感をはぎとることを考えてみたのです。名を残すなんてことも煩わしくなりましたよ。いらないものをそぎ落としてみたときに最後に残るのが「誇り」ではないかと思いました。誰もがそうなるとは限らないけれど、私の場合、その誇りを感じることで、死に直面する自分がイメージできるようになり、病気に対する恐怖がなくなったのです。

                ■   ■

 「死生観」なんて、おおげさにいうと、すごいことのように感じるかもしれないけれど、人間誰しも死ぬのは当たり前ということです。

 だから、遺言書も作りました。死というものについて家族とも話しました。「葬式なんてせんでもいい」「骨なんて海に捨てていい」なんて。

 人間は、安心して生きてきたのと同じように、安心して死ぬにはどうしたらよいかと考えるものではないでしょうか。本を読んだり、絵を描いたり、人とつきあったり、いわば今日まで生きてきたのはすべて死生観を得るためだったという気がします。

 がんによって自分の考え方が強くなったという意味では優越感を感じます。劣等感と優越感は紙一重。そう思えばがんになるのは、決して無駄ではなかったといえるかもしれませんね。

                   ◇

【プロフィル】安野光雅

 あんの・みつまさ 大正15年3月20日、島根県津和野町生まれ。旧山口師範学校研究科修了。玉川学園出版部に勤めた後、東京近郊の小学校で10年ほど美術教師。国際アンデルセン賞、紫綬褒章など多数受ける。平成13年に故郷、津和野町に「町立安野光雅美術館」が開館。今年菊池寛賞を受賞。

(2008/11/20)