産経新聞社

ゆうゆうLife

画家・安野光雅さん(82)(下)

「生きている時間を大切にしたい」という安野さん=平成17年8月、島根県津和野町、町立安野光雅美術館アトリエ(同美術館提供)


 ■「仕事をやってやろう」 寝てなんかいられない

 画家、安野光雅さん(82)はがん治療後の経過観察をしながら海外に取材に行くなど、精力的に仕事をしています。厚生労働省の人口動態統計では、平成19年の死亡者数のトップはがんですが、安野さんは「ほかの病気が治るようになったから、がんが残るわけですが、がんでも元気な方がたくさんいます」と語ります。(竹中文)

 国立がんセンターで平成17年2月に「肺がん」を告知されたときに、まず、お医者さんにたずねたのは「海外に行ってもよいのでしょうか」ということでした。

 すでに、仕事で海外に行く約束をしていたので、行けなくなったら困ると思ったのです。幸いにも、お医者さんからは「海外に行っても大丈夫。普段通りに仕事を続けてもいいですよ」と言われましたよ。なんだ、そういうものなのかと思いましたね。

 海外に行く前に、背中から針を刺して患部から細胞を取り出し、がんの生態を調べました。状態によっては、手術の痛みで死を早める場合もあるので、78歳という年齢を考慮し、手術は行わず、30回の放射線治療を行うことにしました。

 治療をしているうちに、がん細胞がだんだん小さくなったのには驚きました。ただ、お医者さんからは「小さくなっても、消えて治ったということではありません」と言われました。それが、がんに対する専門的な見方らしいのです。

 その後も、1カ月おきに経過をみるために病院に通うことになりました。通院の合間を縫って海外に行くことに不安がなかったわけではありません。でも、やりたいことをやって死んだ方がよいと思ったし、がんになったら、余計に、仕事をやってやろうという気持ちになりました。

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 がんが分かった後も「繪本 三國志」の取材で中国に行きました。三国志は、桃太郎のような想像で描くタイプの絵本とは異なり、現場を見なければ、読者にうそを見抜かれてしまいます。読者から「その山の形が違う」とか、「そんなところに川はないはずだ」などと言われないようにするために現地を見ておきたかったのです。

 そのくせ、描くときは、現地で見たものをそっくりに描くわけではありません。つまり絵は相手というよりは、自分の思うようになったときにできあがるのです。心が反映されるものなのです。

 たとえば三国志の取材で、孫権(そんけん)の墓がある南京の紫金山のふもとにある梅花山に行ったときには、梅は咲いていなかったのですが、絵の中では梅林に花を咲かせました。

 どこまで咲いたら完成するかと聞かれれば、絵ができあがったと思えるときまで咲かせるのです。真っ白の紙の上でいろいろやっていると、いつのまにか絵になる瞬間があるものです。

 年齢や経験によっても、できあがり方は異なります。花に限らず、山でも海でも人間を描くときにも、自分が何を美しいと考えるかが投影されています。

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 若かったときは、直線は、定規で引いたようなきれいな真っすぐな線がきれいだと思っていました。四角を書くときでも、角の線と線が行き過ぎて交差すると許せませんでした。でも、年を重ねると、真っすぐではないのもなかなかいいなあと思うようになりました。

 許すというか、逃げているというか。弁解のように聞こえるかもしれませんが、「まあ、いいか」というところがないと、人間は生きていけません。がんも含めて、さまざまな経験を積んで、そんなふうに思えるようになったともいえます。

 そうした線を、第三者が「味がある」と言ってくれるのはありがたいけれど、味を出そうと思っているわけではないですよ。最近は、絵手紙を描くときに「筆のお尻を持って描くとおもしろい」なんていう教え方があるそうですが、それは一種の演技で、素直さが失われます。

 今は、描きたい絵は山ほどあるけれど、生きている時間が足りないと感じます。長丁場の連載をするときは途中で死んだらまずいので、生きていなければならないと思うようになりましたよ。100年カレンダーを見ると、この中のどこかで死んでいるのかなとも考え、ふと笑ってしまうことがあります。先行きが見えてきているのです。

 それでも、描いてさえいれば気分が良くなるのです。家族や友人から「少し休んでいればいいのに」なんて言われることもありますが、寝てはいられない。絵に取りつかれているのかもしれませんね。

(2008/11/21)