産経新聞社

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経済アナリスト・森永卓郎さん(51)(上)


 ■父親の介護に直面して家族ととまどうばかり

 経済アナリストとしてテレビやラジオで活躍する森永卓郎さん(51)。父親は平成18年に脳出血で倒れた後、半身まひで要介護状態に。現在は結腸がんで治療を受けています。親の介護に直面し、予想もつかないことの連続に、日々、家族ととまどうばかりだといいます。(北村理)

 父(京一さん=82歳)の介護を始めて、まる2年になりますが、今後の介護生活がどうなるかなんて、まったく見えてきません。

 父は一昨年の11月に脳出血で倒れ、左半身にまひが残りました。それまでは自宅でひとり暮らしだったのですが、昨年2月の退院以来、私の家での療養・介護が始まったのです。

 父は新聞記者だったせいか、介護される生活など、想像もつかないような元気な人。母が先に亡くなってからも、飛び回っていたんです。

 それだけに、家族としては「まさか、父がこんな状態になるなんて」という思いをひきずったまま、介護生活に入りました。とはいえ、私は朝6時から夜中の12時まで、びっしり仕事が入っており、介護は現実には妻に任せきりの状態です。

 妻は主婦業に加え、8割ほどが自営業のような私の仕事も支えてくれています。ですから、父がデイサービスに出て不在にしている間に、私のマネジメントをはじめ、主婦業などに駆け回るといった具合です。

 男性を介護するのは大変です。父は身長が160センチほどですが、妻は父の入浴介助をしていて、腰を痛めたことがありました。父が風呂場で気を失ったときは、私が引き上げたのですが、脱力した状態では非常に重く、私も大変な思いをしました。

 自宅を建てたときは、父の介護なんて想定もしていませんでしたから、廊下は車いすが動けるようなバリアフリーになっていません。在宅介護にあたり、手すりをつけるなど、最低限のことはしました。ですが、トイレの位置は変えられず、父は結局、トイレに行きたくなると、つえをついて行っています。トイレに行こうとして、父がたびたび倒れたので、警報装置をつけました。ですから、妻は夜中でも警報装置が鳴ると、飛び起きるというような生活でした。

 ある時、精神的にまいった妻が私にメールを送ってきたことがあります。「離婚するしかない」というのです。それしか、この負担の重圧から逃れる術はないと考えたようです。

 介護生活が1年半たった今年の春、妻の疲労感がピークに達したように感じたので、父に介護施設に入ってもらおうと真剣に考えました。施設も、自宅から徒歩で行ける場所に見つけました。父は倒れた直後に「施設に入ってもいい」と言っていたので、このときも施設入居を納得してくれました。

 しかし、妻が「ここまで、介護してきて、今さら施設なんて」と反対したのです。家族の心理とはそんなものです。

 介護を始めるときも、施設か在宅かで迷いましたが、結局、今回も結論が出ないまま時間が過ぎ、そうこうしているうちに、父が腸狭窄(きょうさく)を起こして入院したのです。調べたら、今度は結腸がんでした。

 父は手術し、まだ入院中ですが、脳出血で倒れた後、なんとか在宅介護で生活していたのが、また振り出しに戻ってしまいました。とりあえず、命の危険が去ったという状態で、これからどのくらい入院するのか分からないし、入院が長引けば、歩くのも、それまで以上に困難になってしまうでしょう。

 今後の介護生活をどう送ったらいいのか、まったく分からなくなってしまったというわけです。

 父の今後の健康状態によっては、施設入居を改めて決断しなければいけない時期がくるのかもしれないと思っています。

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【プロフィル】森永卓郎

 もりなが・たくろう 昭和32年、東京都出身。東京大学経済学部を卒業後、専売公社やシンクタンクをへて、現在、経済アナリストで、獨協大経済学部教授。著書に「年収300万円時代を生き抜く経済学」(光文社)など。また、コレクターとしても知られ、近著に「しあわせの集め方 B級コレクションのススメ」(産経新聞社)がある。

(2008/11/27)