産経新聞社

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経済アナリスト・森永卓郎さん(51)(下)

「在宅介護か施設介護かで葛藤があった」と語る森永さん


 ■家族の情で在宅を選択 受ける側も覚悟が必要

 父親の介護に頭を悩ます経済アナリストの森永卓郎さん。自身は、人生の最後で要介護状態になったら、「家族を煩わせたくない」と言います。親族での逡巡の末、家族介護に踏み切って感じたのは、介護する側同様に、介護を受ける側にも覚悟がいるということでした。(北村理)

 父の介護経験から言うと、もし、自分が要介護の状態になったら、誰がなんといおうと、介護施設に入ろうと思いますね。

 家族のなかに、介護の必要な人間が1人出ただけで、こんなに生活が変わってしまうのかと、今さらながらに痛感しているのです。

 つい最近、父ががんと分かって入院するまで、父をわが家でみていたのですが、在宅介護を選択するまでには、少なからず葛藤(かっとう)がありました。

 父が一昨年の末、脳出血で倒れた後、本人と弟を交えて、これからどう介護するかを相談したのです。父は半身まひで、当時、要介護4。食事はきざみ食で自分で取れますが、歩くのはつえをついてやっとという状態でした。

 父は「家でも施設でもどちらでもいい」と言いました。弟の家は都心に近く、在宅介護をするだけのスペースがないこともあり、施設でケアしてもらうことを主張しました。

 父より先に亡くなった私の母は介護の必要がなかったため、私たちはそれまで家族介護をしたことがありませんでした。ですから、「介護をする」ということが、実際にどういうことなのかは、よく分かりませんでしたね。

 でも、私は長男だし、結局、最初から施設にお世話になるのもどうかなあ、という漠然とした“家族の情”のようなもので、在宅介護を選択したというのが実情です。

 私の家は都心から離れた場所にあり、父の部屋は確保できたので、最低限のリフォームで、うちに引き取ることにしたのです。

 実は、父の介護で苦労してくれている妻も、実家では父親が要介護状態なのです。母親が元気なので、最初は自宅介護をしていました。しかし、義母もうちの親と同年代で高齢だし、妻の兄夫婦は共働きですから、義父は今は施設にお世話になっています。

 介護というのは、家族や本人の状態によってケース・バイ・ケースで、その都度判断が求められます。これでいいという答えはないと、つくづく感じます。

 私の家はたまたま、子供が自立しつつある時期だったので、まだましですが、同級生のなかには、子育ても介護も抱える家庭はあります。そうなると、なおさら大変なのは想像に難くありませんね。

 父をわが家で介護して思うのは、介護する側にも覚悟がいりますが、介護を受ける側にも覚悟がいるということです。

 父の場合、介護そのものの大変さに加え、父の性格が介護する側に負担になっている面も否めないのです。父はこれまで、何でも自分で決め、思ったことを断固として実行する人でした。何かにつけ、自分で決めたことを実現しないと、我慢ができないのです。

 風呂で気を失って、家族がさんざん苦労したときも、もとは父が「自分で風呂に入れる」と言い張るので、言う通りにした結果でした。しかし、本人は後で大騒ぎになったことは全く記憶にないんです。

 とにかく、妻をはじめ、介護してくれる人の言うことをきかない。今も、自分で歩けるつもりでいるし、食事も不自由なのに、自分で食べたがる。人の介助は受けたがらないんです。

 看護師さんが来てくれても、気にいらないと、あっちの看護師を呼んでこいなんて、平気で口にするのです。

 ですから、妻は平身低頭して、看護師さんに頭を下げるということを、続けていたらしいのです。

 父の介護で苦労しながら、妻が父を施設へ入れるのに反対したのは、こうした父のわがままを、施設がどこまで聞き入れてくれるのか、という不安もあったようです。

 最後まで体が動いて、何でも自分でできるならいいですが、70歳を過ぎて、要介護の生活であれば、「はい、ありがとうございます」と手をあわせて、いろいろな人にお世話になるという気持ちが必要だと思います。

 日本は世界でもトップクラスの長寿国です。ですが、寿命が延びれば、老後も長くなり、不健康な期間も長くなります。

 父を施設に入れようかと思い、あれこれ調べてみましたが、特別養護老人ホームはいっぱいだし、民間のケア付きマンションは入居金に5000万円もかかったり、月の費用が30万円もかかったりするところが多いようです。

 私も、今のワーキングプアといわれる若者も、とうてい安心して老後を過ごせる状況ではないでしょう。なんとか、最後まで豊かに、楽しく暮らせる社会であってほしいと願うのですが。

(2008/11/28)