産経新聞社

ゆうゆうLife

俳優・長門裕之さん(74)(上)


 ■「人間の尊厳を守る」 介護の進化をとげたい

 女優の南田洋子さん(75)は5年ほど前から記憶を失い始めました。今は、夫で俳優の長門裕之さん(74)が自宅で介護しています。今年10月には「アルツハイマー型認知症の兆候がある」と診断されました。厚生労働省によると、認知症高齢者は平成22年には208万人になる見込みです。長門さんは「尊厳を守りながら介護をしたい」と語ります。(文 竹中文)

 洋子の記憶がこぼれ落ちているのに気付いたのは、5年ほど前でした。平成15年に撮影した映画「理由」(大林宣彦監督、16年公開)のセリフが覚えられなかったのです。そのころは老化現象だと思いました。尊敬する女優、南田洋子をなんとか取り戻そうと、「老化を克服する努力が足りない」「おまえは大女優なんだぞ」などと叱咤(しった)激励しました。洋子は苦しかったでしょう。いたわりの気持ちが持てたらよかったのに。申し訳なく思います。

 「もう駄目だ」と思ったのは、共演したテレビドラマの撮影中でした。

 洋子が現場で監督に「影に台本を置いてもいいですか」と聞いたのです。監督は承諾しましたが、そんなことでは世間の評価は落ちてしまう。だから「覚えろ」と言いました。しかし、セリフは出てきませんでした。洋子はそのころから不眠に悩まされていて、お医者さんから処方された睡眠導入剤を飲んでいました。

 18年撮影の映画に出演依頼をもらったときには、「南田さんはにっこり笑っていてくださればいいですよ」と言ってもらいました。でも、洋子自身は下の処理ができなくなってきていて、「仕事中に『トイレに行きたい』というのがいや」と。

 結局、それを機に、「楽になろうね」と言い、女優引退を決めました。

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 洋子の下の世話には対応せざるを得なくなっていきました。それは、とても複雑で、デリケートな問題で…。最初のうち、洋子は「紙おむつ」という言葉に傷ついていましたから、言葉を選びながら少しずつ近付いていきました。

 介護するときに大切なのは、相手の尊厳を守ることだと思うのです。私でも、介護が必要になったときに「はーい、おしっこに行きまちゅよ」なんて赤ちゃん言葉で話しかけられたら、腹が立つ。優しくしたつもりの言葉で傷つけているかもしれないのです。

 洋子が私のおやじ(俳優の沢村国太郎)を介護していたときは、男として認めて接していました。だから私も彼女の尊厳を守ろうと。

 今年10月、東京都内の病院で「アルツハイマー型認知症の中期から後期の兆候があります」と診断したお医者さんからも「彼女は、記憶は忘れていきますけれども、尊厳は持っています」と言われました。

 今では「おむつ」という言葉に過敏に反応しなくなりましたが、それでも、尊厳を守るために「おむつ」ではなく「パンツ」と言うようにしています。

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 そんな気遣いが彼女に伝わったら「ありがとう」と言われるはずなのですが、「ばーか」という言葉が返ってきます(苦笑)。その言葉が、私への感謝の言葉だと理解するようにしています。彼女が発する意味が通じない言葉の中にある感情や要求。それを見逃さないようにしています。

 介護をしていると、これまでの常識では理解できない現象にぶつかります。洋子が今日、私の名前を覚えていても、明日は期待できない。

 それでも、洋子が忘れていく現象を「進化」と呼ぶようにしています。一般的には退化というのかもしれません。でも、自分の世界を造形している洋子は、私には進化しているようにも見えるのです。彼女の進化にあわせ、私も介護の進化をとげたい。そう思っているのです。

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【プロフィル】長門裕之

 ながと・ひろゆき 本名・加藤晃夫。昭和9年1月10日、京都市生まれ。芸能一家で育ち「太陽の季節」で共演した南田洋子と36年に結婚。日活を経て、39年に芸能事務所「人間プロダクション」を妻とともに設立、社長に就任。ブルーリボン主演男優賞など。

みなみだ・ようこ 本名・加藤洋子。昭和8年3月1日、東京都生まれ。大映、日活を経て「人間プロダクション」に。演技派女優として、多くの賞を受賞した。

(2008/12/04)