産経新聞社

ゆうゆうLife

河村裕美さん(41)


 □子宮頸がん患者会オレンジティ理事長

 ■経験者しか分からない 一生続く後遺症の悩み

 子宮頸(けい)がんの罹患(りかん)率が高まり、低年齢化も指摘されています。子宮頸がんの患者団体「オレンジティ」理事長の河村裕美さん(41)は自らの闘病体験を語り、「一生続く女性としての性の悩みと後遺症のつらさを味わってほしくない」と、20歳代からのがん検診を勧めます。(北村理)

 私が子宮頸がんだと分かったのは、32歳のとき。結婚して、わずか1週間後。近い将来は子供を産んで…といった夢を描き、夫と人生の歩みを共にし始めたときでした。

 それから1カ月足らずのうちに、子宮と卵巣の全摘と、リンパ節切除の手術を受けることになりました。

 手術で出産できなくなると分かったとき、夫と今後の結婚生活を続けるかどうか話しました。

 幸い、夫は「子供のことはいいから、2人で人生を歩んでいこう」と言ってくれました。だからこそ、大きな喪失感がなく、今、自分の体験を話すこともできるのです。

 とはいえ、出産という女性にとってかけがえのない機能を失うわけですから、今でもすべてを受け入れられたわけではありません。

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 また、生殖機能が集まる部分に大きな手術を受けるため、その後の夫婦生活も影響を受けます。影響が出ることは医師から聞いていましたが、どう対処すればよいのか、医療者は教えてはくれません。経験者でないと分からないことですから。夫婦間の微妙な問題に加え、手術後はさまざまな体の変化に向き合わざるを得なくなりました。

 卵巣を摘出しますから、女性ホルモンが不足することで更年期障害のような症状が起きます。私の場合、体が熱くなるという症状が、手術の翌日から出ました。

 ほかに、めまいがしたり、目の前に蚊が飛ぶような「飛蚊(ひぶん)症」になったりして、神経質になりました。

 ひどいときは、些細(ささい)なことで夫や家族を傷つけてしまう。こういうとき、夫は「顔つきが全く違っている」と言います。

 そこで、女性ホルモンを補充する飲み薬を処方してもらいました。今は張り薬を使って落ち着いています。

 職場復帰後に困ったのが、尿のコントロール。私の場合、手術でぼうこうの神経も傷つき、トイレに行きたい感覚がなくなったのです。仕事に集中しているとつい、いつトイレに行ったかを忘れてしまう。日々、工夫して自分で調整するほかありません。

 リンパ節を切除すると、足と体を結ぶリンパ節がなくなるので、自分で毎日マッサージして、リンパ液を上半身に戻してやらなくてはいけない。そうしないと、足が数倍に腫れるリンパ浮腫になり、歩けなくなることもあります。

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 女性として、妻としてどう生きるか−。夫がすべて理解できるわけではありませんし、患者同士が話し合い、情報交換するしか手がないのです。

 特に後遺症は、女性ならではの問題で、経験しないと分からない。家族にも相談できず、患者がひとりで抱え込んでいることが多いのです。私もそうでした。ですから、患者同士の集まりで話し合ってひとつひとつ解決していくほかはないと思い、患者会を立ち上げました。

 最近、会のメンバーで若い人が亡くなるケースが目立っています。全国的に20歳代の罹患率が高まっているようです。20歳代のがんでは、罹患率は乳がんに次いで2番目。子宮頸がんには、ヒトパピローマウイルスがかかわっており、性交渉で感染することが分かっています。性交渉の低年齢化が原因といわれています。

 子宮頸がんは進行すると、私たちのような後遺症に一生悩むことになってしまう。ですから、20歳代から子宮頸がんの検診を受けてほしいと心から願っています。

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【プロフィル】河村裕美

 かわむら・ひろみ 静岡県熱海市出身。現在、静岡県庁勤務。32歳で子宮頸がんの告知を受ける。平成14年に患者会「オレンジティ」((電)070・6569・9438)を立ち上げ、国立がんセンターなどと知識やがん検診の普及に務めている。今年1月末から、東京でも、患者会の活動を開始した。

(2009/02/10)