産経新聞社

ゆうゆうLife

女優・樹木希林さん(66)(上)


 ■乳がんで人生学ぶ 病気は「賜りもの」

 病気はただ治すだけではつまらない−。平成16年夏に乳がんに気付いた女優の樹木希林さん(66)は翌年、手術を受けました。がんを通じて、自分のよじれと向き合いながら、自力で人生を変えた樹木さんは「病気は賜りもの」だと語ります。(文 竹中文)

 平成16年夏あたりに胸にしこりがあるのに気付き、乳がんだなと思ったの。秋に都内の病院に検査に行き「がんでしょう」と聞くと、お医者さんも「がんですねえ」。

 そのとき、治療方法について話してもらったような気がするけれど、耳には入ってこなかったわ。動転していたわけではなく、なんだか具体的によく分からなかった。

 理解できない治療法について質問すればよかったんだろうけど、しつこく聞かれるのは嫌かな、という遠慮があってね。それで、切ることに決めたんです。手術の判断はちょっと早まってしまいました。

 手術を即決したのには、理由があって。15年に左目が網膜剥離(はくり)になって、お医者さんから「原因をつきとめるには、手術しかない」と言われたんだけど、検査のために手術をする必要はないと思って拒んだの。

 そうしたら週刊誌の記者さんが取材にきて「宗教上の理由で手術をしないんですか」なんて聞いてきたんです。そのときには否定したけれど「拝んで治すなんて思ってはいないんですよ」と、世間に訴えたかった気もあって。乳がんのときは、その反動で「切ります」なんて言っちゃったのよ(苦笑)。

 あの取材がなければ、即決はしなかったでしょうね。大変にアホなことで。

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 私の場合は、もっと、がんについて勉強してから、治療方法を決めても遅くはなかったの。手術をしないケースもあるし、放射線治療を選ぶという道もあったはず。ほかの病院で「セカンド・オピニオン」を聞いてもよかったんです。がんについて無知のまま17年1月に入院して、すぐに全摘出しちゃったの。

 手術直後には、報道関係者にばれて、マスコミの方が自宅にたくさん来て、家族が家に入れなくなって。だから病院からタクシーで自宅に戻って記者会見を開いて、すぐに病院へ戻りました。

 昼すぎに病院に見舞いに来た女友達が、テレビで放映されていた私の記者会見を見て驚いていたわよ。彼女は乳がんの経験者で、手術で、筋肉を切って大変だったらしい。私の場合は筋肉は切らなかったから、ポットでお茶も入れられたのよ。

 そういう意味では、手術は進歩しているんでしょう。でも、大変なのは手術後。再発を防ぐために、薬をもらうんですが、ホルモン剤は何種類もあって、自分で、自分にあう薬を決める。だから、がんに対する知識が必要になるんです。

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 お医者さんは自分の専門分野については詳しいけど、私の心身のすべてを知っているわけではない。だから、自分の体は自分で守らないと。そのためには自分の体の悲鳴を感じるしかない。

 性格は人とぶつかって、すぐに分かるけれど、自分の身体は結局、自分で理解するしかない。病気のたびに自分の体を知るのは大事なことだと思うわね。

 私は、乳がんになり、ホルモンのバランスが良くないことが分かりました。死ぬときに「納得がいかない」なんて思いたくないから、死を意識して、今を大事にするようにもなりました。遺言状を書いたり、6畳ほどの部屋いっぱいにあった本を売ったり。(米アカデミー賞にノミネートされた映画「おくりびと」で主演した)娘婿の本木雅弘さんには「死ぬときは自宅で死にたい」と伝えたわよ。本木さんは私の顔をまじまじと見つめて「それにしても樹木さんは死なないですね」だって。「大丈夫よ、そのうち死ぬから」と答えたわ(笑)。“おくりびと”もいるし、死ぬ覚悟はできてます。

 山あり谷ありのがんの道を体感しながら抜けていく。病気はただ治すだけではつまらないのよ。病気によって、いろんなよじれが見えてきて、人生が変わる。病気は「賜りもの」だと思っています。

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【プロフィル】樹木希林

 きき・きりん 昭和18年1月15日、東京都生まれ。本名・内田啓子。36年、文学座付属演劇研究所の1期生。ドラマ「時間ですよ」などで人気を博した。48年にロック歌手、内田裕也氏と結婚。一人娘の也哉子さんは平成7年に俳優の本木雅弘氏と結婚。映画「歩いても 歩いても」の母親役で20年、フランスのナント三大陸映画祭で最優秀女優賞に輝き、21年にはブルーリボン賞助演女優賞も受賞した。

(2009/02/19)