産経新聞社

ゆうゆうLife

女優・樹木希林さん(66)(下)

夫の内田裕也さんと昨年7月、京都旅行を楽しんだ樹木希林さん(樹木さん提供)


 ■死意識して対面を決意 夫婦の戦いにピリオド

 乳がんの手術を平成17年に受けた女優の樹木希林さん(66)。「納得のいく死」を意識したとき、脳裏に浮かんだのは、ロック歌手の内田裕也さんのこと。長年、別居していた夫と向き合おう。そう決意して対面したと語る樹木さんの目には、力強いエネルギーが宿っていました。(竹中文)

 乳がんの手術をする直前に内田裕也さんと向き合おうと思ったんです。

 裕也さんは昭和56年に、私に無断で区役所に離婚届を出しました。私が離婚無効の訴訟を起こし、裁判で争い、裁判官にまで「あんなに嫌がっているんだから、別れてあげなさいよ」なんて言われたことがあったんです(笑)。裁判で離婚は無効になり、籍は戻ったけど、裕也さんと連絡を取るのは1年に1回だけ。このまま裕也さんを恨んで死ぬのは悪いなと思って、ほったらかしにしていたことを謝ろうと思ったの。

 でも、男の人って、いろんな質(たち)があるけれど、別居している奥さんと面と向かって、しっかり話をするというのは苦手なんじゃないかな。まして夫なんて、カーッとして一生送っているという感じだから、2人だけでは話はできないと思ったの。

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 だから、知人に「謝りたいから、仲介して」とお願いして、食事の席を設けてもらったんです。でも、夫は1時間ぐらい、次から次へと違う話をして核心には触れさせてくれなかった。

 そのうち時間がなくなってきて、仲介者が時計を見始めたから「ちょっと私にしゃべらせて!」「謝らせてくれ!」と怒鳴ったわけ。首根っこをつかまえて謝るっていう感じだったわね。仲介者には「けんかごしで謝っている現場を初めて見た」と言われました(笑)。

 そのとき、裕也さんは何も言わなくて、そのまま、さようならって別れたんだけど、その後、別の知人が、飲食店で、ものすごく機嫌のいい裕也さんと会ったらしい。夫は何かを承知したんでしょうね。

 それから月に1度、裕也さんと会うようになって。長い夫婦の戦いは終わりました。元気なうちは分かりあえなかったけれど、お互いに病気して、体力がなくなっちゃったから通じあうようになったんだろうね。私は15年に網膜剥離(はくり)になって、裕也さんも同じころに目の病気を経験して。それから私が乳がんになって、お互いに“老老介護”が必要になったのね。

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 昨年の夏には「祇園祭に行ってみようか」「いいね」という話になって、一緒に宿泊したんです。目が悪いと危ないから、いつも腕を握っていました。偶然、そうなっちゃったのよ。熟年離婚なんて言葉も浸透してきちゃったけど、老いてから別れるのはもったいないわよ。

 乳がんの手術後、毎年1月には、裕也さんと一緒にハワイで過ごすようにもなりました。真珠湾では必ず手を合わせる。そこにも一緒に手をつないでいく。毎年、これが最後だなあって思いながらいくわけよ。そんなに先が長いとは思えない。その覚悟はあるから。

 私の出演した映画「歩いても 歩いても」について、裕也さんが感想を言ってくれたこともありました。「一般料金で映画館で見たぞ」だってさ。シニアの料金で見ればいいのにさ。そんなところで頑張るんだよね(笑)。「映画に登場するような会話がない夫婦にはなりたくねえな」と言っていたけど、でも、長年連れ添ったら顔を見なくても意思疎通ができるのは自然よね。うちは一緒に住んでいなくて、会うときは話があるから、いつも目を見てしゃべっているだけ。

 嫌な話になったとしても、顔だけは笑うようにしているのよ。井戸のポンプでも、動かしていれば、そのうち水が出てくるでしょう。同じように、面白くなくても、にっこり笑っていると、だんだんうれしい感情がわいてくる。だいたい私は仏頂面なので、「なあに」なんて言っただけでも、裕也さんに「怒ってんのか」と言われちゃう(笑)。そうならないようにね。

 死に向けて行う作業は、おわびですね。謝るのはお金がかからないから、ケチな私にピッタリなのよ。謝っちゃったら、すっきりするしね。がんはありがたい病気よ。周囲の相手が自分と真剣に向き合ってくれますから。ひょっとしたら、この人は来年はいないかもしれないと思ったら、その人との時間は大事でしょう。そういう意味で、がんは面白いんですよね。

(2009/02/20)