産経新聞社

ゆうゆうLife

俳優、柳浩太郎さん(23)(上)


 ■交通事故で残った後遺症 「待っている」の声が支え

 若手俳優集団「D−BOYS」のメンバー、柳浩太郎さん(23)は交通事故で脳挫傷を負い、今もマヒや記憶障害などの後遺症と闘っています。後遺症が分かってしばらくは自暴自棄に陥ったという柳さんですが、家族や仲間、ファンの声援を受け、舞台復帰を目指して立ち上がりました。(佐久間修志)

 事故にあったのは、平成15年12月の14日。主演が決まっていたミュージカル「テニスの王子様」の舞台けいこの帰り道でした。道路を渡ろうと一歩踏み出したら、右から来た車に、ダーンって吹っ飛ばされて。細かくは記憶に残っていないんですが。

 ダンスやボクシングなどで鍛えていましたから、骨折とかもなかったんですが、頭を打って脳挫傷になってしまいました。目が覚めたときには、21日の誕生日も過ぎて、新年になっていました。

 目が覚めても、記憶障害で何も分かりませんでした。そばにいた母に、「どなたですか」って聞いたみたいです。2週間くらいしたら、「ああ、お母さんだ」ってしっくりきましたけど。

 それに、特に右半身に障害が強く残りました。今も常に手が震えています。初めての人には「何で震えているの」って、気を使わせちゃいますね。バランス感覚もなくなって、ちょっと触れただけでも倒れてしまう。人込みを歩くときなんて命がけです。いつも肩に力を入れていないといけないんです。

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 事故前は、結構いろいろできたんですよ。自分に少しは自信も持っていました。特にダンスは得意で、ある程度の振りなら、ちょっと見ただけでコピーできるレベルでした。

 この業界に入ったのも、女性誌主催のコンテストに予選落ちして、「自分を押しのけて通過したのがどんなやつらか見に行こう」と、本選を見ていたのがきっかけなんです。しかも、芸能界入りして3カ月で舞台の主役に決まって。本当に順調でした。

 だから、障害を受け入れられなかったですね。昔はあれもこれも、簡単にできたのにって。仲良くしていた友人や高校のクラスメートの前には出たくなかったです。

 特につらかった時期が、集中治療室(ICU)を出て、リハビリをしていた時期。昔の記憶も戻り、自分の状態が分かるようになっただけにショックでした。はしも持てない、コップを持つだけで水がこぼれる…。すごい簡単なことができない。

 「こんなこともできないなら、これから先、生きている意味ないや」って、病棟の窓から飛び降りたくなりました。意識は昔のままだから、動かそうとする。でもできない。

 これは今もあります。電車に乗り遅れそうでも、走れない。目の前で電車のドアが閉まるたび、今の自分を受け入れようって思うけど、一気に気分が悪くなったりします。

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 転機になったのが、共演者仲間から送られたビデオレターでした。入院中に誕生日を迎えたので、最初はハッピー・バースデーの合唱で始まるビデオ。で、一人一人が「帰ってこーい」「待っているからねー」って。ファンレターも同じで、「頑張れ」じゃなくて、「待っているから」ってつづられていて。

 グッときましたね。「どんな状態でも受け入れるよ」って言ってもらった気がして、すごい幸せでした。両親にも助けられました。自分は人に気を使わせると、なにか劣等感のようなものが出てしまう。でも、母は記憶がなかったときのことも、「あなたは顔も分からなくて大変だったんだから」って、冗談にしてくれます。そういう人たちに支えられて、舞台に絶対戻るんだ、戻った姿をファンに見せたいって、生きていく目標みたいなものが生まれたんだと思います。

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【プロフィル】柳浩太郎

 やなぎ・こうたろう 1985年、ドイツ・ベルリン生まれ。ミュージカル「テニスの王子様」で平成15年、主役の越前リョーマ役を務めたが、交通事故で降板。16年、同シリーズで舞台復帰。4月12日から舞台「鴉−KARASU」に出演予定。

(2009/03/05)