■矛盾だらけ加入記録
「宙に浮いた年金」を探っていくと、社会保険庁が長年続けてきたずさんな事務処理が次々と明らかになってきます。国民年金では、被保険者が実際に加入した日すら、正確に把握していなかった事例が分かりました。平成13年度まで保険料を徴収していた市区町村で、制度と異なる処理をしていた疑いも出てきました。こうしたルーズな対応が、年金記録紛失の問題解決を一層、難しくしています。(中川真)
「昭和50年に国民年金に加入した際、それまで収めていなかった保険料をすべて払ったのに、記録が消えている」。前回紹介した横浜市鶴見区の中村正美さん(59)夫妻は、神奈川社会保険事務局と2年以上も堂々巡りを続けている。
保険料のために解約した定額貯金、幼い息子の手を引いて区役所に行ったこと、家に通ってきた集金人…。当時の記憶は鮮明だと話す中村さんだが、年金手帳や領収書は残っていない。
しかし、中村さんへの神奈川社会保険事務局の説明も心もとない。同局は、中村さん夫妻が国民年金に加入したのは、「53年3月中旬ごろ」だと主張する。ところが、具体的な加入日は「特定できない」というのだ。
社会保険庁にとって、被保険者との関係で基本になるのは、年金に入る資格ができた日。勤め人の厚生年金なら、入社日。国民年金なら、20歳の誕生日だ。
一方、被保険者にとって重要なのは、将来の受給額につながる実際の加入日。だが、この日付を、鶴見区役所が鶴見社会保険事務所に伝えた書類(受付処理簿)が、同事務所で見つからないという。この書類は永年保存するルールになっていたものだ。
年金は、国民が国と結ぶ一生涯の契約。そのスタートを示す書類がないとは、あまりにいい加減な管理だといえないだろうか。
しかも、市区町村から届く納付記録を手書きで写した「被保険者台帳」も、社会保険事務所は本庁の指示で60年秋に廃棄。納付日についても、59年に新オンライン・システムができるまで管理していなかったという。
では、中村さんの加入時期は、どうして「53年3月中旬ごろ」といえるのか。神奈川社会保険事務局の早川正通年金課長は、「国民年金番号を振り当てた加入順の一覧(国民年金手帳記号番号払出簿)から絞り込んだ」と説明する。
これには通常、加入年、月しか記載がないが、任意加入など、加入日がわかる人も一部いる。こうした人が中村さん夫妻の前後にいないか、探したという。
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ただ、仮に社会保険事務局の説明通り、「53年3月中旬ごろに加入した」とすると、中村さんが照会した「被保険者記録」の内容と、つじつまが合わない。
未納の保険料は原則、2年前の分までしかさかのぼって支払えない。ところが、記録では3年前の50年4月分まで納付したことになっているからだ。
さらに、過去の分をさかのぼって収められない付加保険料(将来の受給額を増やすため保険料を増額する制度)が、52年度に納められているのも、おかしい。
早川課長は取材に対して、「区役所が間違えたまま、保険料還付などの処理をしていなかったとしか思えない」と話す。同局は、ほかにも同じような事例がないか、調査しているという。
一方、「加入は50年4月」という中村さんが正しいとすると、やはり問題が生じる。
当時は、中村さんが「20歳からの保険料をすべて払った」というように、過去の未納分をすべて収められる「特例納付」の対象期間(昭和45年7月〜47年6月、49年1月〜50年12月、53年7月〜55年6月)。しかし、特例納付は市区町村でなく、国に納めることになっていたからだ。納付を受けたとすれば、鶴見区役所の対応がおかしい。
横浜市役所の花里典広保険年金課長は「52年度分は現年度分、50、51年度分は過年度分(2年分)として処理した。国庫金にあたる特例納付などを現金で受け取るはずはない。当時の区の担当者にも確認した」と話している。
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中村さん夫妻は、2年以上も社会保険事務局や区役所に問い合わせを続け、社会保険労務士にも相談したことで、年金の知識を相当身につけた。それでも、「社会保険事務局や区役所の説明は理解できない」(美津子さん)という。
社労士の豊島信行さんは「『当時、区役所で特例納付をし、領収書もあるよ』という人が名乗り出てくれれば、立証できるのだが…。ここまでくると、そうした呼びかけも大事になってくる」と指摘する。
中村さんのようなケースは、今後も続出が予想される。“矛盾だらけの加入記録”を説明する責任が、社保庁と市区町村にあることは間違いない。
(2007/06/19)