産経新聞社

ゆうゆうLife

虐待のその後で 不足する施設とサポート(下)就業支援

小学生の放課後対策の指導員をしながら、教師を目指す金沢泰宏さん=東京都千代田区


 ■自立への環境整備を

 虐待などを受けた子供が生い立ちを乗り越えるには、将来を夢見ることも必要です。大学進学や自立を支援する施設がある一方、多くの施設で自立へのサポートが不足しています。社会への巣立ちを応援する環境整備が求められています。

(清水麻子)

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 「先生から投げて」「よーし、いくよー」

 4月下旬、東京都千代田区の小学校。東洋大学3年生の金沢泰宏さん(22)がボールを投げると、子供たちが笑顔をみせた。

 学童保育の指導員など、複数のアルバイトで生活費を稼ぎながら学生生活を送る金沢さんは、3歳の時から東京都葛飾区の児童養護施設「希望の家」で育った。母は知らず、父は新しい家族ができて金沢さんを育てられなくなった。

 幼いころは自分の境遇に腹が立ち、職員とケンカもした。しかし、中学時代に父に会い、抱いていたイメージと期待外れだったことから、思いを断ち切ることができた。大学進学を意識したのは、それからだ。「昔から読書が好きだった」という金沢さんは国文学を専攻し、高校の国語教師を目指している。

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 児童養護施設出身者の大学進学率は低い。厚生労働省の資料によると、高校に進学する子供は9割超だが、うち平成18年度に大学に進学したのは2割に満たない。全国平均の7割を大幅に下回る。

 そんななか、金沢さんが大学に進み、教師になる夢を追えているのは、努力に加えて、施設の取り組みが大きい。希望の家では、「親世代の負の行動を子供も受け継ぐ『世代間連鎖』を断ち切るには、大学に進み、好きな職業に就くことが必要」との福島一雄施設長の考えのもと、大学進学や就職を積極的に支援する。

 施設を出た先輩らが在園児に職業意識などを語る合宿研修を開き、企業や職員、地元の人の寄付で基金を作り、進学意欲がある子供には予備校の費用も捻出(ねんしゅつ)する。落ち着いて勉強できる環境も整える。金沢さんも中学1年で系列のグループホームに移り、風呂や食事、就寝時間などの規則に中断されず、勉強に集中できた。金沢さんは「園長や職員など、多くの人が愛情を注いでくれ、感謝の気持ちでいっぱい。がんばって子供の心が分かる教師になりたい」と話す。

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 しかし、多くの施設で自立のサポートは不十分。風呂や食事、就寝時間までがんじがらめで、施設内の上下関係に疲れ、中学卒業と同時に施設を出て働く子供もいる。

 父母の離婚後、父から育児を放棄されて栃木県内の児童養護施設で育った坂田康明さん(25)=仮名=は「集団生活が嫌で、早く施設を出たかった」と、中学卒業後に「ものづくりがしたい」と、大工の職についた。

 しかし、徒弟関係が厳しく、長く続かなかった。仕事を辞め、誰も頼れない現実から逃げようと、シンナーを吸い、何度か警察にも捕まった。一時は覚醒(かくせい)剤にも手を出したという。坂田さんは「悪いことは施設で覚えた。職員の言うことを聞けば、先輩に『いい子ぶって』と殴られた。職員は子供を好き嫌いで差別し、上下関係は見て見ぬふり。施設で生きるには、悪さを覚えて強がるしかなかった」という。

 茨城県高萩市の草間吉夫市長は生後3日で乳児院に預けられ、高校までを児童養護施設で過ごし、東北福祉大学に進学した。草間市長は「施設の子供はそれまでの生活が安定せず、道が開けない場合が多い」と話す。草間市長は大学卒業後、松下政経塾を経て、平成18年3月に市長になった。「大学に進学できたのは、園長先生が施設の子供としてではなく、一人の人格を持った人として接してくれたから。大学入学後に授業料が足りなくなったり、勉強でつまずいたときも、物心両面で支えてくれました」と、自立支援に一番必要だったのは、信頼できる人の存在だったことを挙げる。

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 信頼できる人との出会いが自立への意識を変える。

 坂田さんは大工を辞めた後、児童養護施設を出て働く人などを対象にした自立援助ホームに入る。そこで応援してくれるホーム長と出会い、自暴自棄な生活と決別した。「警察に捕まって身元引受人になってもらったとき、絶対に怒られると思いました。でも、『若いうちはな、しようがないこともあるさ。でも、それだと自立できないぞ』と、帰り道にラーメンを食べに連れていってくれて。自暴自棄な生活をやめられたのは、それからでした」。坂田さんは今、通信制の高校に通いながら、正社員を目指す。さまざまな困難にぶつかったが、今の自分に満足しているという。

 草間市長は言う。「子供が自分に尊厳を持ち、好きな職業に就けるよう、国は信頼できる職員に頼れる態勢や環境を整え、大学進学も積極的に応援してほしい。子供たちには、境遇を社会のせいにせず、がんばった分だけ道は開けると伝えたい」

(2008/05/14)