産経新聞社

ゆうゆうLife

編集部から 認知症は「何も分からない」か

 乾燥機を買ったときのことだ。設置し終えた電器屋さんが「奥さん、こちらへ来てください」という。立ち会った夫ではなく、私に何の用かと思ったら、電器屋さんは「ほかのボタンは考えないで、これだけ押してください」と、スタートボタンを指さした。

 親切心からだろうが、「女性は機械に弱い」という偏見が悔しかった。14年も前のことが頭に浮かんだのは、認知症高齢者が日々感じるのも、同じような悔しさでは、と思ったからだ。

 何もできない子供のように扱われたら、暴言や徘徊(はいかい)などが出ても無理はない。言葉での意思疎通が難しくとも“何も分からない”わけではない。空気を読み、気配りもする。グループホームのお年寄りは見学者によそゆきの顔を見せる。記者が話しかけると、会話の糸口をつかもうとする意図を察してか、「こんな赤ちゃんですみません」。うまく対応できないことが、もどかしそうだ。

 ケアするはずの介護職が、お年寄りに調子を合わせてもらっているケースも少なくない。意思疎通ができていないことを介護職に気づかせようと、認知症ケアで知られる岡山県の「きのこグループ」は、研修に来る介護職とお年寄りの1対1の会話を撮影する。なかには、「無理やり会話を迫る自分」を映像で客観的に見て、目からうろこが落ちる体験をする人もいる。

 対等に向き合うことは難しい。認知症の人とだけでなく、だれとでも。(寺田理恵)

(2008/08/08)