満開の桜の下で花見を楽しむお年寄り
春になると日本は桜でおおわれる。私の家の近くにある護国神社でも、境内の桜が咲き誇り、花見の名所になっている。
いつのころからか、この境内に老人ホームやデイサービスのお年寄りが、マイクロバスで花見に来るようになった。桜の花の下で楽しそうにお昼ご飯を食べたり、輪になって花を見つめ、語り合う和やかな表情を見ていると、こちらの気持ちも和んでくる。
眺めているうちに、ふと気がついた。「桜の花の下は福祉空間だ」と。
家に引きこもりがちの、あるいは外出がままならないお年寄りにとって、年に一度の花見は至福のひとときであろう。日本人はみんな桜が大好きである。全国各地の咲き乱れる桜は、私たちに幸福のひとときをくれる。
ところが、護国神社の西浦正樹さんは、こんな話をしてくださった。
春になると桜は咲くが、車いすのお年寄りが近くで花見ができる場所は意外に少ない。というのも、桜が爛漫(らんまん)と咲き誇っていても、そこまで行くには遠方であったり、階段を上ったり下りたり、駐車場から歩く必要のある場所などが多い。マイクロバスの運転手を兼ねる介護員やヘルパーが、すべての高齢者をケアしながら花の咲いている場所まで連れていくのは困難である。人も多く、ゆっくりと花見ができない。
それに、境内の公共トイレは一般に、狭く、段差が多く、和式で、車いすや脚の不自由なお年寄りや幼児は使えない。
しかし、この神社では、一般のバスや車と違い、老人ホームなどのバスは花の下まで入ってこられる。車を降りた目の前に大きな桜の木があり、いわば「バリアフリーの花見の名所」になっている。さらに、この神社では、社務所内にある広いスペースの洋式トイレを使えるようにしている。
この神社のように、少しの配慮でお年寄りも楽しめる花見の名所ができる。こうした名所が、日本全国に増えることを願わずにはおれない。
やがて夏祭りがくる。
町や村の人にとって、鎮守は地域共同体の守り神であり、暮らしの精神的支柱であり、お年寄りの心が癒やされ、落ち着くかけがえのない存在である。
鎮守の祭りの、遠くから聞こえてくる祭りばやしの神楽太鼓や笛の音に誘われて、子供連れのお年寄りが浴衣がけで出かけていく。日本の原風景となっている。(神戸大名誉教授 早川和男)
(2008/08/20)