産経新聞社

ゆうゆうLife

編集部から 自宅で治療するということ

 取材をしながら、自分の認識の甘さを痛感することも多い。今週の在宅医療についての連載でも、そうだった。

 末期がんの患者を取材したとき、取材に応じてくれた男性に「在宅での療養はどうですか」と尋ねた。男性の答えは「ここは自宅だし、病院だし、生活のすべて」だった。

 取材も最終段階。在宅医療のイメージもほぼ固まってきていた私は「在宅療養でも、きちんとケアされれば、自宅でも病院のベッドと同等という意味なんだろう」と解釈した。

 だが違った。男性は続けた。「治療のときはここは病院になり、(医療者が)いなくなれば自宅になる。精神のよりどころは(自宅である)ここだが、気がつくと他人の場所になりそうなときがある」。“治療の場”となったわが家は、もはや自分だけの居場所に思えないー。そんな訴えに、はっとした。

 男性の主治医や看護師らは、献身的に男性の命と生活を支えていた。それは男性も分かっていたと思う。けれど悪化する病状の中、孤独を感じたのかもしれない。自宅が舞台となるだけに、在宅医療では「家族に寄り添われているような」ケアが病院以上に必要なのだろう。

 3日後、男性は息を引き取った。「最後に言いたいことを記者さんに言えて、幸せだったと思いますよ」。主治医の言葉を聞きながら、感謝と悲しさの入り交じった、複雑な思いにとらわれたのだった。(佐久間修志)

(2008/09/12)