産経新聞社

ゆうゆうLife

最期のときを家族と ダンディーでいく

大山実 撮影


 自宅で命を看取(みと)る「在宅ホスピスケア」について、20年近く、山梨県を中心に発言してきた。理解は進んだが、「もう治らない。余命が短い。助からない」というイメージは、患者さんと家族の心を打ちのめす。

 「お願いします!」と、ウキウキと初診のイスに座る方はいないし、そもそも、医療に助けを求める患者さんは、心身のどこかに問題を抱えているから、晴れない気持ちは当然かもしれない。

 初診の日、山下勉さん(58)=仮名=もげっそりして顔色が優れなかった。内気な方らしく、口数も少なく、奥さんも私の前ですぐ涙ぐんだ。

 私にホスピスケアを依頼する方々は病院からの紹介ではなく、親戚(しんせき)や友人の薦めによることが多い。「安らかで平和な日々」を体験した人から、背中を押されて来るのだ。持参した担当医の紹介状には、膵臓(すいぞう)がんで余命1〜2カ月と記されていた。何と厳しい判定だろう。以後、定期的に外来へ通っていただき、痛みを和らげながら少しずつ仲良くなっていった。

 痛みが取れると、全身の症状が落ち着いた。笑顔が出て、食べられるようになり、力が付いてきた。目を見合わせ、「仕事を再開してみますか?」と口に出た。自営業で外の仕事だが、山下さんは恐る恐る働き始めた。快調な日々。奥さんも「覚悟した気持ちを緩めるのが怖いです」といいながら、笑顔が増えた。

 普通の生活で1年が過ぎたころ、がんの再発症状が出た。腸の通りが悪く、流動食が主になり、体力が落ちたので、在宅ケアに切り替えた。山下さんは「快調です。でも、暇で困る」と、いつも笑顔で答えてくれた。ある日、往診に行くと、すっきりとひげもそり、格好いいヘアスタイルになっていた。「先生、私が目を離したすきに自分で運転して、ひとりで床屋さんに行ってしまったんですよ」と奥さん。

 「おれは囚人じゃないだろう? 男にはなじみの床屋は大切なんだ。子供じゃないんだから付き添いなんて恥ずかしいよ」。「ヘアスタイルがいい感じですね」と言うと、「そうですか? もう40年も通ってるんですよ。店の名はダンディー」

 山下さんは晴れ晴れとした顔をした。限られた命を自覚して日々を重ねる人はダンディーだ。山下さんが亡くなったのはその2週間後だ。(内藤いづみ 在宅ホスピス医)

(2008/10/08)