産経新聞社

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年金 年金質問箱 番外編 戦時中の記録で増額も

昭和18年1月の中島飛行機太田製作所の給料袋。年金保険料が天引きされている


 「年金質問箱」で先月11日、戦時中に徴用工や女子挺身(ていしん)隊員として軍需工場に動員された人の年金を解説したところ、読者から戦争体験のお便りが数多く寄せられました。当時も保険料は給料天引き。年金記録が見つかった人がいる一方、動員学徒で無報酬のため、年金に加入していなかった人もいます。戦時中の年金記録は、それぞれの戦争体験と深く結びついていました。(寺田理恵)

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 千葉県鎌ケ谷市の西山寛さん(83)=仮名=は昭和17年に徴用され、群馬県の中島飛行機太田製作所で働いた。

 妻の秋子さん(77)=仮名=は「夫は栄養失調になって帰ってきましたが、元気で働き続けた方々の中には、空襲を受けて亡くなった人もいます。戦時中は学校へ行っても勉強せず、作業ばかり。私もカゴを背負って学校に通い、畑を作ったり、出征兵士の家の田んぼを耕したりの毎日でした。学校には軍隊が駐屯し、艦砲射撃に備えて、トンネルを掘っていました。村人も勤労奉仕にかり出されました」と振り返る。

 秋子さんは平成6年ごろ、「女子挺身隊員だった人に年金が出る」と新聞で読み、徴用工だった夫にも出るのでは、と夫の給料袋を社会保険事務所に持参した。

 寛さんが18年1月に中島飛行機から受け取った給料袋は茶色いざら紙。明細が印刷されており、当時すでに年金保険料を天引きされていたことが分かる。

 徴用工など男性の工場労働者を対象に、厚生年金の前身である労働者年金が創設されたのは17年6月。19年10月には対象を女子挺身隊員などに拡大した。年金制度の創設は戦費調達のためともいわれる。世相を反映してか、寛さんの給料袋の裏面には「貯める心も戦ふ心(貯金局懸賞募集入選標語)」と印刷されている。

 秋子さんは「鎌ケ谷市に引っ越して40年以上になります。5回も転居したのに、よく保管していたものです。窓口の方が驚かれ、『初めて見ました。なるべく早く手続きをします』と言ってくださいました」と話す。

 寛さんの年金記録は訂正され、戦時中の加入期間が年金額に反映された。その結果、増額分を5年前にさかのぼって一時金で受け取った。昨年7月に年金時効特例法が施行されるまでは、直近5年より前の増額分は時効消滅したからだ。

 特例法ができて、記録訂正による増額分は、時効で消滅した分を含めて全額支払われるようになった。秋子さんは、時効消滅分も受けられると新聞で知り、再び申請。寛さんは今年1月、受給権発生時にさかのぼって増額分を受け取った。

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 戦時中に徴用された人のうち、中島飛行機のような民間の軍需工場に勤めた人は、厚生年金に加入していた。

 一方、海軍工廠(しょう)など海軍や陸軍の工場に勤めた人は、海軍共済組合や陸軍共済組合に加入した。これらの共済は、終戦で解散したため「旧令共済」と呼ばれ、一定の条件を満たせば厚生年金と通算され、年金額に反映される。お便りでは、旧令共済期間があっても、年金額が増えないケースが何件もあった。

 和歌山県の小川明雄さん(85)=仮名=もそのひとり。昭和15年12月に呉海軍工廠に徴用され、19年8月に航空隊に入隊するまで海軍共済組合に加入した。「3年8カ月、共済掛け金を給料天引きで納付しました。自営業なので、戦後は国民年金が始まった昭和36年から加入しました。ですが、65歳で年金受給の手続きをしたとき、旧令共済分は年金額に加えられないといわれました」と話す。

 社会保険庁によると、旧令共済期間が厚生年金の額に反映されるには、厚生年金期間が1年以上あることが条件。戦後、自営業や主婦などで、厚生年金に加入しなかったため、旧令共済分を受け取れない人は少なくない。

 小川さんは入隊後、戦地へ行き、終戦後は満州とシベリアで抑留されるなど苦労を重ねたが、軍人恩給の対象となるには期間が足りなかったという。

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 軍需工場や工廠で働いた人でも、徴用ではなく学徒動員だった場合、無報酬で保険料を天引きされておらず、年金に加入していない可能性が高い。

 大阪府の田中秀夫さん(80)=仮名=は旧制中学5年の昭和19年、軍需工場に動員された。空襲にさらされながら働き、焼夷(しょうい)弾で自宅が全焼しても、防空壕(ごう)から工場に通った。20年4月に旧制高校に進学するまで続き、中学の卒業式も行われないままだという。

 田中さんは「国のためと思って必死でしたから、当時は報酬など考えもしませんでした。60年以上たって、この話をするのは、お金が欲しいからではありません。年金記録はなくても、動員学徒が働いた事実を認めてもらいたいのです」と話している。

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【用語解説】戦時中の厚生年金と旧令共済

 戦争末期、多くの国民が徴用工や女子挺身隊員として工場労働に従事し、年金に加入していた。徴用先が中島飛行機や東洋通信機、三菱重工業など、民間の軍需工場の場合は厚生年金、陸海軍の工廠の場合は陸海軍の共済組合に加入した。

 終戦で解散した陸海軍の共済は旧令共済と呼ばれ、一定の条件を満たせば加入期間のうち昭和17年6月から20年8月までが厚生年金の額に反映される。旧令共済には、陸海軍のほかに朝鮮総督府交通局や台湾総督府専売局などの共済がある。

(2008/10/13)