産経新聞社

ゆうゆうLife

編集部から 「救う技術」と「育てる場所」

 「泣いてもいいですか」。そう言って、母親は医師の言葉をさえぎった。

 母親は昨年10月、重度の障害児だった長女を13歳で亡くした。日ごろ診ていた小林拓也医師が「よく頑張ったよね」といったとたんのことだった。せきを切ったように涙を流し、「心の底から頑張ったというには、どこまでやればいえるのか…。私には分からない」と、顔をおおった。

 呼吸もままならない重度の障害児のケアは毎日、極度の緊張を強いられる。夜間、呼吸を管理するアラームが鳴れば、飛び起きて、たんの吸引などのケアをする。13年間、厳しい生活が続いた。

 長女が静かに息を引き取ったのは、家族がだんらん中に疲れて居眠りをしたときだったという。「これまで、そんなことはなかったのに」と、母親は後悔を口にする。

 小林医師が運営する施設では毎月、重度の障害児のべ300人がデイサービスを受ける。他に預かる施設がないから、数は毎年、増えている。

 小林医師は「医療の進歩で多くの新生児が救われるようになったが、家族の負担は並大抵ではない。命を救う技術も大切だが、家族と一緒に救った命を育てる場所も確保する必要があるのではないか」。

 長女を亡くした母親は、こうした意をくみ、負担が増えつつある小林医師の施設を助けるボランティアを始めた。(北村理)

(2009/01/30)