産経新聞社

ゆうゆうLife

最期のときを家族と いい塩梅の味付けで

大山実 撮影


 生きるために、食べることはとても大切だ。しかし、現代人の食事は相当に危なっかしい。

 昔、私が研修したイギリスのホスピスでは、点滴をしている人が少なかった。ある時、食べられなくなった患者さんに日本の常識で点滴を勧めたら、こう言われた。「点滴で何時間も縛られるより、家族と一緒においしいスープを一口飲む方が何倍も幸せで、体に力が付くのよ」

 佐藤初女(はつめ)さんは青森で“森のイスキア”という場所を作り、苦しむ人の話をじっと聞き、おいしい食事を共に取り、心を支える活動をしている。食材を“命”と考え、心を込めて調理し、“おいしい”と感じたとき、その食材は命となって、生涯、共に生きていく。それを、佐藤さんは「命の移し替え」と表現する。

 永六輔さんは別の言葉で「『いただきます』という言葉は、あなたの命を、私の命のためにいただきます」だと教えてくださった。そこには生かされる命への深い感謝が込められている。

 病人に食事を取ってもらうことは、命を長らえさせる第一歩だと、家族は本能的に知っている。「生きて」と祈りを込め、重湯の入ったスプーンを病人の口に運ぶ。別れに折り合いをつける大切なひと時でもある。

 先日、45歳の男性の最期にかかわらせていただいた。病院では塩気のない治療食で、あまり食べなかったという。終末期に近づき、飲み込む力も小さくなっていた。家族は何かを食べさせてあげたかった。私は専門家から聞いたことを思いだした。命の最期に味覚を総動員して味わいたいものに、ハマグリの潮汁があると。

 「よくだしを取って、塩でお好みに味付けをしてあげてください」と伝えた。早速作って口に運ぶと、おいしそうに飲み込んだという。私たちの命は太古に海から生まれ進化してきた。だから、体液と海の成分はとても似ているのかもしれない。

 彼は最期の日、訪問入浴でゆったりとお湯につかることもできた。「胎児のとき、お母さんのおなかで羊水に浮かんでいるような気持ちかしら?」と皆で話した。

 45歳という若さの人を見送る辛さを抱え、ご家族は海に帰る、母なる存在の元に還る、そんなイメージの中で力を合わせ、笑顔を失わず命の最期に寄り添った。(内藤いづみ 在宅ホスピス医)

(2009/02/18)