産経新聞社

ゆうゆうLife

最期のときを家族と 命が透明になる時

大山実撮影


 心が傷付いた人たちの話をじっと聞き、心を込めた料理でもてなす佐藤初女(はつめ)さんのことについて前回、触れた。初女さんのように、食材を物ではなく命としてとらえ、命のある料理を作ろうと、私も奮闘中だ。そしてひとつ、重要なことに気付いた。

 それは万事、急がない、ということだ。私は働く母親なので、ついパッパッと(時には掛け声をかけて)、料理のスピードを上げる。調理で省略もする。初女さんのお料理を拝見していると、食材と会話を交わしているかの如く、じっくりと、ゆっくりと落ち着いていて優雅である。

 「食材の命を移し替え、透明になったときを見逃さないように。料理の最初から最後まで、そして盛り付けまで、一瞬たりとも気を抜くことはありません」

 そう語る。子育てにも求められる視点。

 「生きている食材が、命を移し替えて私たちの体に入ってくる。たとえば、大地に根付いている緑が、ゆがくことで透明になったときが移し替えのときです」

 私も思い当たることがあった。この世から向こうの世界にいくとき、人間も透明になるのではないか、と。もし、人工的な延命や緩和されない心身の苦しみにさいなまれていると、透明になる瞬間が表れづらいようにも思えた。

 初女さんとの対談で、私が「ゆっくりと急がず、本人の自然な命の最後の旅路に寄り添えたときこそ、透明な瞬間がありそうですね」と伝えると、初女さんは「そう。その瞬間を見逃さないように。祈りを込めて見つめてね」と、おっしゃった。

 そういえば、井上フネさん(91)=仮名=は脳腫瘍(しゅよう)で、私が「危篤です」と告げてからも、命の炎は10日間も消えなかった。命をつなぐ点滴は適量にしていたが、血圧も低く、尿量も減って、ほとんど口がきけなかった。

 孫やひ孫さんがそばにくると、「ありがとう。分かっているよ」というふうに手を上げて意思表示をした。かすかなほほえみもあった。静かな平和な10日間だった。誰も急がず、ありのままの命の最期に付き添った。今になると、あの10日間に、命が透明になった瞬間があったように思えて仕方がない。(内藤いづみ 在宅ホスピス医)=おわり

(2009/02/25)