産経新聞社

ゆうゆうLife

病と生きる 作家、加古里子(82)


 ■緑内障で得られた出会い 乗り越えられたら「宝」になる

 作家の加古里子さん(82)は約30年間、緑内障の治療を続けています。わずかな視野を頼りに、創作活動を続ける加古さんですが、「緑内障のおかげで素晴らしい方々と会う機会を得ました」と前向きです。(竹中文)

 約30年前、視界に黒い点が現れだしたので、危ないなあと、緑内障を専門とする開業医に診てもらったんです。先生は帰り際に「これを読んでおきたまえ」と資料をくださって。そこには緑内障は治らないことや進行を止めるのが精いっぱいだとありました。

 当初、先生に「何年もちますか」なんて聞いたんですが、「分からないよ」。僕は自分が納得できるように、先生からもらったデータをもとに、方眼紙に視界の見えるところと見えないところを予測した面積比を記すようになりました。その記録を見て、何年後に100%見えなくなるかを考えてみた。その間に、何とか自分の描きたいものは仕上げようと。そうしたら4、5年だったんです。

 戦争で友人を失った死に残りで、戦後は余生だと思っていたので、がっかりはしなかった。でも、仕事ができなくなるのでは、と不安はありました。当時は短気で、あたり散らしたりも(苦笑)。うちの床がぎーこぎーこ鳴ると、怒鳴ったりして。

 主治医の先生は、患者さんごとに適したアドバイスをしていましたが、僕には「いらざることにくよくよしないこと」と。仕事への不安を見抜かれたなと思いました。先生に会えただけでも、緑内障になったかいがあった。

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 病気のおかげで、もうひとつ素晴らしい出会いがありました。あるとき、緑内障と知った友人から、障害を持つ子がいる施設で「講義をしてくれないか」と誘われて。講義どころか、一緒に遊ぶようになって、それが、とても勉強になったんです。

 障害を持つ子には、ハンディが支障にならない遊びを選ぶ必要がある。たとえば足が悪い子に、鬼ごっこは必要ないと考えがちだけど、足が悪くても駆け回りたい子もいる。その場合、駆け回るぐらいエネルギーを使う遊びを考える。ボール状のポリ袋を座ったまま打ち合う「お座りバレーボール」とかね。

 子供が話さなくても、コンプレックスを探るのが大事。「君はどうしてうち解けないの?」なんて聞くのは駄目で、じっと観察し、ちらっちらっと探って、だいたい分かったら、コンプレックスにふさわしい遊びを提案する。

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 目はもちろん弱点だけれど、マイナスではない。緑内障で6回手術をして、白内障も手術して、今では脇は見えず、片手を伸ばすと、手の甲は見えても、親指は映りません。子供が通ると、見えないから不安ですし、ふっと頭を動かすと柱にぶつかります。

 描くときも、支障が出てきましてね。2年ほど前から、もうほとんど描く仕事はお断りしているんです。けれど、いろいろ理屈を付けられて、結局やることになるので、絵を拡大する器具などを使っています。それで「目が悪いのに、どうして細かいのを描けるんだ」なんて言われます。

 緑内障になるまで、絵本作家として方向が定まらなかったけれど、病気のおかげでいろんな出会いがあり、ハンディを突き抜けた人と接して、絵本の描き方も、生きることも、ずいぶん勉強させてもらいました。病気はひとつの経験。乗り越えられたら、素晴らしい宝になるんです。

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【プロフィル】加古里子

 かこ・さとし 大正15年、福井県生まれ。本名、中島哲(さとし)。東京大学工学部卒業後、企業に勤めながら児童文化活動に従事。『だるまちゃんとてんぐちゃん』などの“だるまちゃんシリーズ”や『からすのパンやさん』といったユーモラスな作品から、『伝承遊び考』まで作風は幅広い。平成20年、菊池寛賞受賞。

(2009/03/27)