産経新聞社

ゆうゆうLife

病と生きる(下)父、作家 北杜夫さん(81)

斎藤由香さん(矢島康弘撮影)


躁鬱病発症前の北杜夫さん(右)に、本を読んでもらい、ごきげんの斎藤由香さん


 □娘、エッセイスト 斎藤由香さん(47)

 ■父を否定しなかった母… 家族だんらんは失われず

 作家、北杜夫さん(81)の躁鬱(そううつ)病について、娘でエッセイストの斎藤由香さん(47)は「父のおかげで家の中は笑いに満ちていました」と振り返ります。斎藤さんの言葉には、家族の病気に向き合うヒントが感じられます。(佐久間修志)

 私が小学1年のときでした。軽井沢から帰ると、食卓にあったチラシの裏に「キミ子(母の名前)のバカ!」と書いてあった。父は穏やかで言葉遣いも丁寧だったので、母と「パパ、どうしちゃったんだろうね」と話していたら、それがどんどんパワーアップしてきました。

 ある日、「好きなように生きたいから、喜美子も由香も家から出ていってくれ」って。それで母の実家に帰ったこともあります。夜中に目が覚めると、叔母が祖母と「お姉さまはいつまでいらっしゃるの?」と話しているのが聞こえて。子供心に聞いちゃいけない会話を聞いた気がしました。

 鬱のときの父は1日1食。夕食に起きてくるだけで一言もしゃべらないのですが、躁病のときはにぎやかで楽しかったです。株でお金がなくなり、私のお年玉まで使われたのは困りましたが。

 それ以外は浪花節をうなったり、自分はドイツ人だと思いこんだり、いちいちおかしくて。家の中は笑いに満ちていました。ある年末には、父が「当家の主人発狂す。万人注意!」と看板を飾りたいと言い出して、私も「やろう、やろう!」って。9年前に躁が発症したときには、父が「女性にモテたい」と言うので、過激なキャバクラに連れて行ったり。女の子が裸の上にスケスケの浴衣で出てくるんです。編集者も一緒だったんですが、どんな親子なんだと思ったでしょうね。

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 幼いときから、父が作家という意識はありませんでした。小学校で「お父さんの職業」というテーマの授業があって、8割がサラリーマン。あとは公務員、自営業。私ともう1人だけ、父親の職業が分かりませんでした。

 その夜、父に職業を聞いたら、「作家」って言えばいいのに、「著述業」って。私は「チョジュツギョウなんて変な職業は嫌だ! みんなと同じがいい」と泣いて、泣き過ぎて、食べたものをもどして、母に怒られました。

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 家族が父の病気を乗り切れたのは、ひとえに母のおかげです。母は父が株で借金を重ねたことは非難したり、タオルでぶったりしていましたが、父の人格を否定したり、ののしったりは一度もありませんでした。母が父を否定しなかったから、私も父の病気を隠さなかったし、友人に「今、ウチのパパ、躁病なんだよ」って話していました。

 ドタバタの最中も、母は食事に一切、手を抜かない。豪華ではなかったけど、おいしい料理にデザートまで手作りで、家族のだんらんがあり、心貧しくなることはありませんでした。

 精神科医の伯父は「長い人生を健康で生きるには、60%そこそこで満足するコツを身につければ幸福感が高まる」と話していました。幼いころ、その意味が分かりませんでしたが、今は本当にそうだなと実感する日々です。

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【プロフィル】斎藤由香

 さいとう・ゆか 昭和37年、東京都生まれ。サントリー勤務の傍ら、エッセイストとして週刊新潮に「トホホな朝ウフフの夜」を連載中。今年1月、北杜夫氏と躁鬱病についての対談集「パパは楽しい躁うつ病」を出版。

(2009/04/10)