産経新聞社

ゆうゆうLife

病と生きる 歌手・ペギー葉山さん(75)


 ■「俳優は無理」の言葉に涙 「共感」は今の時代の支え

 歌手のペギー葉山さん(75)は糖尿病や脳梗塞(こうそく)などを患い、平成17年に亡くなった夫で俳優の根上淳(じゅん)さんを介護した。多くの友人の励ましで、悲しみを笑い飛ばせるようになったというペギーさんは「高齢化社会の中で大切なのは、介護に携わった人たちがお互いに情報交換ができるような環境づくりではないか」と語る。(文 竹中文)

 糖尿病だった夫は平成10年8月に突然、脳梗塞を併発しました。お医者さんから私だけ呼ばれて、「俳優の仕事は無理です」といきなり言われたときはもう腰が抜けちゃった。その晩、息子の前で泣きました。私は彼のファンの1人でしたから…。

 リハビリでは「右手を出して左の足を前に」と指導されてもできなかった。それなのに「言われなくても分かっている」なんて反抗していました。本当に情けなかったですよ。彼はさっそうとした俳優でしたし、「どうして」という言葉ばかりが頭の中を巡りました。

 歩くときに、私が手で支えようとしても「独りで歩ける」と振り払ってしまう。お医者さんから「転んだら寝たっきりになる」と言われていたので、息子や私が一緒に後ろについて、公園での散歩のときは、いつでも座れるように小さい椅子(いす)を手にして、よろよろっとすると、椅子をさーっと出して、まるで殿様のようだった(笑)。

              □  ■  □

 でも介護をしていくうちにだんだん私は強くなったんです。夫はその後、心不全、腎不全、心筋梗塞、膀胱(ぼうこう)がんなど、いろんな病になりました。私の方でも「また次の病気ですか」とお医者さんに対して、反応ができるようになったんです。人間って変わるのですね。

 心筋梗塞になったときなんて、リサイタルの開演30分前に突然、病院の主治医から電話がかかってきて、「ご主人が心筋梗塞で集中治療室に行きました。危険な状態です。早く来てください」と言われましたが、会場では、お客さまが待っている。完璧(かんぺき)に公演をやらなきゃならなかった。もうやるっきゃないという思いでした。

 死ぬ間際、夫が要介護4になったころには「“病気のデパート”みたいね」と笑えるほどに強くなりました(苦笑)。介護をしたのは約7年で、最後の1年は寝たきりの生活。夫は17年10月24日、82歳で息を引き取りました。最後は「あなた、よく闘ったね。あっぱれ」と言いたかったです。

              □  ■  □

 どうして私が強くなれたのか。今振り返ってみると、仕事が介護の支えになっていたと思うんです。仕事をしているときは、介護をすべて忘れて歌に没入できたし、元気な歌い手としてファンの方々のためにやらなければ、という思いがエネルギーにもなり、自分を強くしてくれたんです。「ドレミの歌」の「ファ」と「ファイト」を関連づけた一節をよく口ずさみましたね。

 仲間がいたことも支えになりました。見舞いに行ったとき、夫にくるっと後ろを向かれて、「もう来なくていいよ」と言われて落ち込んだこともありました。でも、介護経験がある歌手で先輩の石井好子さんから、「あなたを愛しているから、彼は甘えてわがままをいうのよ」と言われて、気持ちを切り替えることができました。介護に関する情報の交換はこれからの高齢化社会にとっても大事なことだと思います。

 介護の講演を頼まれたときは「皆さん、なにが大変なのか、よーく、分かりますよ」と言って、話し始めるようにしています。介護経験がある人同士はなんとかして自分が知っている対応方法を、心を込めて伝えたいと思うものなんです。そこで話がつながるんですよね。講演でも自分の経験を話すと、目に涙をためて「分かるわ」とうなずく人がいます。「共感」。それは今の時代の支えになるはずだと思います。

                   ◇

【プロフィル】ペギー葉山

 ぺぎー・はやま 昭和8年、東京都新宿区生まれ。本名、森シゲ子。青山学院高等部卒業。27年にキングレコードと契約。代表曲に「南国土佐を後にして」「ドレミの歌」「学生時代」など。40年に俳優の根上淳と結婚。芸術選奨文部大臣賞、紫綬褒章、旭日小綬章など受章。6月4日に大阪・梅田芸術劇場、シアター・ドラマシティでコンサート「テレマンと大人の愛を奏でるvol.2」を開く。

(2009/05/29)