産経新聞社

ゆうゆうLife

病と生きる 山内梨香さん(35) 


 □がん闘病記を出版した看護師

 ■患者と癒やし癒やされ働くことが生きる活力

 がんと闘いながら看護師を続ける盛岡市の山内梨香さん(35)。自費出版した闘病記「がけっぷちナース」が地元で話題を呼び、4月末に一般書籍として全国発売を果たした。「支え、支えられて働くことが生きる活力」という山内さん。「がん患者のための訪問看護ステーションを作る」という新たな夢へ歩き始めている。(中川真)

 乳がんの告知を受けたのは平成17年11月。手術で乳房を温存し、抗がん剤、放射線治療も何とか続け、職場の盛岡市立病院に復帰。婚約者となる彼との交際も順調で、「これから何十年も生きていくんだ」という気持ちでした。

 ところが、肝臓への転移で一気に真っ暗闇に立たされました。再び休職し、抗がん剤治療を始めましたが、副作用で一気に髪が抜け、肝機能が低下。白血球値も下がり、敗血症で入院するなど最悪の状態が続きました。「生きていても何もいいことはない」と、彼にかつらを投げて八つ当たりしたこともありました。

 看護師という職業柄、病院で亡くなるがん患者の方を多く見ています。乳がんで亡くなった方もおり、激痛によるつらさは手に取るように分かります。もちろん、抗がん剤を上手に使い、長生きしている方もいますが、そういう人は普段、病院にいません。「私はいつ死ぬんだろう。余命はどれくらいなんだろう」と考えてしまいがちでした。

 それでも、薬が効いてくると、うれしくて気持ちも元気になっていきました。19年8月には計6回の抗がん剤治療が終了し、徐々に病状も落ち着いてきました。

 医師からは抗がん剤の継続を勧められましたが、ホルモン治療に切り替え、同年12月から仕事に復帰しました。副作用が少ない状態で仕事を続けたかったからです。

 周囲も「無理しないで」と言ってくれましたが、がん患者だって一日中寝ているわけにいきません。仕事もしたいし、楽しみたい。何かをあきらめるのが嫌だったんです。それに、仕事をしないとプライベートも楽しくないですしね。

 復帰後、肝臓に再々発したものの、自己治癒力を信じ、午前中だけ勤務しています。体力が落ち、疲れやすくなりましたが、医薬用麻薬のパッチを体に張り、吐き気を感じたら氷を口に含んで働いています。胃が冷やされ、一時的にスッキリするからです。

 看護の視点も変わったと思います。元気だったころは、「病気になったのは自分もちょっと悪かったんじゃない」といった“上から目線”で患者さんに接していたと気づきました。傲慢(ごうまん)でしたね。

 患者になると、若い看護師さんに「痛かったねえ」なんてタメ口をきかれれば、ムカッときたし、忙しそうだったり対応が事務的な看護師さんには心を開けませんでした。

 今は、患者さんと「癒やし、癒やされ」という関係ですね。職場の理解もあり、よほど忙しくない限り、通常の業務とは離れて、めいっぱい患者さんのそばにいて、話したり、手を握ったり、マッサージ、マニキュア、メーク…。鼻毛を抜いてあげることも。日本医科大が認定する「笑い療法士」の資格もとりました。

 笑わせるのではなく、笑えなくなった鬱(うつ)や統合失調症の患者さんに、寄り添って笑える環境をつくるもので、マッサージで気持ちよくなってもらうのも、そのためです。

 “癒やし”専門の看護師はなかなかいないと思います。私も以前は患者さんの情報収集やパソコン入力にかなりの時間を割かれていましたから。

 自分ががんを体験したことで、がん患者さんの訪問看護ステーションを作る、という新たな目標ができました。私自身も「家で死にたい」と強く感じていますが、24時間面倒をみる家族がいなくて、やむなく緩和ケア病棟やホスピスで亡くなる患者さんが多いのが実情です。そうした方々のお手伝いができればと。

 今は腫瘍(しゅよう)マーカーの数値も下がり、いい状態です。人生はまだまだ終わらない。がんとの闘いも長く続きますね。

                   ◇

【プロフィル】山内梨香

 やまうち・りか 昭和48年8月、岩手県岩泉町生まれ。東京都立公衆衛生看護専門学校卒業。川崎市の総合病院などを経て、現在は盛岡市立病院の精神科病棟勤務。平成20年4月、がん闘病記「がけっぷちナース」を自費出版。同書は今年4月、一般書籍として飛鳥新社から全国発売された。がん患者会などで講演も多数行っている。

(2009/06/19)