産経新聞社

ゆうゆうLife

病と生きる 漫画家・西原理恵子さん(44)

「毎日かあさん」(4)出戻り編(毎日新聞社)のラストシーン



 ■犯人は依存症という病気 家族は我慢せず逃げて

 「毎日かあさん」などで人気の漫画家、西原理恵子さん(44)は、戦場カメラマンの夫、故鴨志田穣(かもしだ・ゆたか)氏=享年42=のアルコール依存症と向き合ってきた。結婚して半年で発症。数々の暴言に苦しめられてきたが、「後になって病気のせいだったと知り、彼を憎む気持ちが消えた」。同じように飲酒が原因で家庭崩壊に向かう家族に「性格の問題ではなく、アルコール依存症という病気なんだと気付いてほしい」と、メッセージを送り続けている。(文 清水麻子)

 夫が亡くなり、3年が過ぎました。いろいろありました。でも今は夫に対し、いい思いしか残っていません。子供たちに聞いても「お父ちゃんは立派な人だった」と言っています。

 夫はもともとやさしく、働き者。話が面白くて誰からも好かれる人でした。取材先のタイで出会って結婚し、2人の子供に恵まれました。でも、幸せな生活は半年しか続きませんでした。朝から晩まで酒を飲み、私に因縁をつけたり、いびってきたりするようになったのです。性格が変わったようでした。逃げ回り、夫が寝た明け方から漫画を描くという生活を6年間続けました。

 夫はカメラマンや物書きとして最低限の仕事はしてましたが、稼いだお金は酒代に消えました。子供たちが大好きだったのに、触りもしなくなった。こんな家庭環境が、子供たちにいい影響を与えるわけがありません。平成15年に離婚届を出したとき、長男が2歳、長女は4カ月。私は彼に「勝手に死んでください」と言いました。本気で死んでほしいと思って別れました。

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 離婚後、彼は「家族と一緒にいたい。酒をやめる」と、連絡をとってきました。離婚をきっかけに、本気で断酒を決意したようでした。でも、そう簡単にはやめられません。酒を飲んでしまい7回も血を吐き、それでも「酒をやめる」と言い続けました。

 アルコール依存症は、がんと同じ大変つらい病気で治療には専門医にかかることと、家族の強い協力が必要です。当時の私は依存症という病気に無知で、彼に「怠け者のうそつき」と言い続けてしまいました。見放された彼は、自分一人で依存症と戦わねばならなかったのです。自分でアルコール依存症の患者会を探し出し、積極的に参加して断酒に挑戦し、アルコール病棟にも半年間入院しました。

 半年後、彼は家に帰ってきました。私は怖くて目も合わせられなかった。でも、4日目、結婚する前の彼が帰ってきたと感じたんです。やさしくて働き者で面白くて家族思いの大好きな彼がいました。そうか、こういう彼だから結婚したんだ、あんなひどいことをさせていた“犯人”は依存症という病気だったんだと。それが私の病気への「気付き」でした。

 依存症について一緒に勉強するようになると、いろんなことが見えてきました。家族にあたる症状は非常に多く、あの暴言の日々は酒を飲んでないときも症状をひきずる「ドライ・ドランク」という症状だったと初めて理解しました。家族は患者に愛情を与えるのではなく、突き放し、後方支援しかしてはいけないことも知りました。私の場合、離婚を言い渡したことが結果的に良かったのです。

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 退院してから、彼は酒を一滴も飲まなくなりました。コンビニエンスストアに行けば24時間、酒が買えるのに。立派だったと思います。でも今度は腎臓の末期がんが再発してしまい、半年後に亡くなりました。でもその半年間は家族一緒にご飯を食べ、ごく普通の生活を送れて幸せでした。

 家族の飲酒で悩むご家族は、一刻も早くその状況から逃げてください。市役所に相談すればシェルターがあります。逃げれば、本人と家族の双方に気付きがあります。私の場合、働き者で我慢強い性格が災いし6年間も我慢しすぎました。3年で離婚してれば、もっと早くに治っていたかもしれない。

 アル中の親を持つ子供の中には、もう親が死んでいるのに「殺したい」と言ったり、憎しみを引きずったままの子もいる。あまりにも悲しい…。全国には家族会がたくさんあります。いろんな知恵をもらってください。

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【プロフィル】西原理恵子

 さいばら・りえこ 昭和39年、高知市生まれ。武蔵野美術大学卒。「ぼくんち」「鳥頭紀行」など実体験に基づく作品を多く手がける。文化庁メディア芸術祭賞や手塚治虫文化賞など受賞。少年と不思議な生き物「いけちゃん」の心の交流を描いた絵本「いけちゃんとぼく」が映画化され、現在全国で上映中。

(2009/07/03)