産経新聞社

ゆうゆうLife

老いと生きる 詩人 藤川幸之助さん(47)

(三尾郁恵撮影)


 ■亡き父から介護のバトン 認知症の母が私を育てる

 詩人の藤川幸之助さん(47)は12年前から、認知症の母親の介護を続け、体験を詩に発表している。「母と一緒に生きることが大事で、詩は後から生まれる」と語る藤川さん。「介護を通じて、いまだに母がまだ自分を育ててくれている」と介護の日々を振り返っている。(文・佐久間修志)

 母の認知症は20年前、父から知らされました。両親は呉服店をしてましたが、母親が何度も同じことを言っておかしいと、病院に行ったようです。「お母さんは俺(おれ)が幸せにする。お前たちの手は借りない」。父はこう宣言しました。

 その数カ月前も、母が同じ会話を繰り返したことがありました。私が「黙ってろ」って言うと、母は自室に引っ込み、三面鏡の前で「お母さん、お母さん」ってつぶやいていました。見ると、手帳に「お母さん」って。自分の呼び名さえ、忘れてしまう恐怖と戦ってたんです。

 父は心臓の手術をして、障害者でもあるんですが、「残された生涯をお母さんのために生きていこうと思う」って。つらかったですよ。でも、父が「手は借りない」って話したとき、安堵(あんど)しました。ひどいでしょ。

 父は頑張りました。「何時から食事」とか壁にスケジュールを張って、その通りにする。「お母さんと2人でためたお金だから」って、買ったものを「誠実なる生活」というタイトルのノートに記し、母に報告していました。

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 母のことを詩に書こうと思ったのは、最初、介護がネタになると思ったからでした。でも、全く書けないんです。母を傍観的に見るだけで、一緒に生きていないんですから。

 それが変わったきっかけは、両親と花見に行ったときでした。父がお弁当屋の前で、「あそこで毎晩、お母さんと食事するんよ」って言うんです。食事を作れない父が、食事の作り方を忘れた母と、弁当を包むためのテーブルで、毎晩食べるんだと。胸がグーッと締め付けられました。ああ俺、何やってるんだって。

 父が死んで、私が母の世話をするようになってから、サービスエリアで、おむつを代えたことがありまして。母が大便を触ろうとするのでいらいらして、おむつを床にたたきつけたんですが、案の定、大便まみれ。どうにか車に戻ると、母は気持ちよくなって寝てしまいました。

 寝顔を見ながら、「お母さん、気持ちいいね」って言ったら、どんどん涙が出てきて。「何で俺がこんなこと」っていう気持ちと、「こんな大変なことを父は一人で…」っていう気持ちで。このとき、天国の父から、スッとバトンを手渡された気がしました。 

 重要なのは、母のことを詩に書くことではなく、母と一緒に生き、母の命に寄り添うことなんです。感動の種が迫ってくるようになったのは、「一緒に生きよう」と思ってからでした。

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 現在、母の状態は良くないんです。最近、MRIを見たんですが、脳の真ん中がぽっかりと空いていて。母の死をものすごく意識しています。ただ、「死」を意識したら、自分の中で、「生」がどんどん色濃くなってきました。

 母はほとんど反応しなくなりましたが、父が母に歌っていた「旅愁」という歌にだけは声を出します。母の心には父の愛が残っています。認知症はすべてを消し去る病気と思うかもしれませんが、消し去れないものがあるんですよ。

 介護をしながら、「母は今も私を育ててくれている」。そういう感覚がします。私は人のことを思いやるような人間ではなかったんですが、今は母を気遣い、思いやります。

 母はベッドで横になる以外、何もしません。でも、人は存在するだけで、人を育てることができ、人間性を引き出すんです。支える側が支えられている。そんな気持ちになるのです。

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【プロフィル】藤川幸之助

 ふじかわ・こうのすけ 昭和37年、熊本県生まれ。小学校教諭を経て詩人に。認知症の母親や病死した妻を題材に命をテーマにした詩などを創作。著書に「満月の夜、母を施設に置いて」(中央法規)、「手をつないで見上げた空は」(ポプラ社)など。6月には「この手の空っぽは きみのために空けてある」(PHP研究所)を刊行。

(2009/07/10)