産経新聞社

ゆうゆうLife

病と生きる 荒井和子さん


 □アルツハイマー病の夫の看病記を出版した荒井和子さん(82) 

 ■環境整え二人だけの生活 夫の心解け鬱症状が回復  

 アルツハイマー病の夫(91)の症状が和らぎ、再び前向きに生きるようになるまでの軌跡を描いた荒井和子さん(82)の著書「『アルツハイマー』からおかえりなさい」(ポプラ社)が話題を呼んでいる。アルツハイマー病は決して治る病気ではないが、環境を整え、二人きりになれたことが夫の症状を回復させたという。(文・清水麻子)

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 夫は50年以上にわたり東京・世田谷で内科医院を開く一方、企業で産業医も務めてきました。時間外でも困った患者さんがいれば診察をする優しい人で、「赤ひげ先生」と呼ばれ親しまれてきました。

 ところが約10年前、80歳を過ぎたころから物忘れが出て、手帳やお財布など毎日使うものを探し回るようになったのです。最初、「年のせい」と深刻に考えませんでした。しかし、撮影していないレントゲンフィルムを現像に出すなど、考えられなかったことが目立つようになった。私は診療にミスがないよう祈るようになりました。

 仕事熱心だったのに、朝起きると「今日もまた診るのか」。病院の精神科でアルツハイマー病と診断されました。ショックでした。これを機に医院の廃業を決意しました。

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 治す方法はないかと私はアルツハイマー病の本を読みあさりました。でも、どの本にも治ることはないと書いてあり、やりきれなくなりました。ちょうどそのころ、長女一家が川崎市に引っ越すことになりました。老後は娘の近くに住みたいと思っていたので、長女の家の近くのマンションに移り住むことにしました。

 それまで私たちは、医院に併設する家で長男夫婦や孫たちと暮らしていました。この年齢からの二人暮らしに周囲は心配しましたが、次第に息子や娘たちも私たちのしたいようにと理解を示してくれるようになりました。もう一つ転居の理由がありました。50年もの長い間、地元で大勢の患者さんに接してきた夫ですから、ふらついて外に出ると患者さんに必ず驚かれます。「変わってしまった自分を見せたくない」。そう夫も願っているのが分かったのです。

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 平成18年の春、初めてのマンション生活をスタートさせました。しかし、夫はなじめずに「家に帰りたい」といい、粗相をすることもありました。88歳での転居は無理だったのかとも思いました。

 それでも私は幸せでした。結婚してから60年以上、仕事と日々の生活に追われ、夫婦でゆっくり語る時間はほとんどありませんでした。こうして夫に向き合ってみると、私に頼り切って生きる夫がとても愛しく思えたのです。

 半年後、夫に変化が起こりました。書けなくなっていた自分の名前を昔通りのしっかりした字で書いたのです。昔のアルバムを眺めると、知人や亡くなった両親のことも良く覚えていました。趣味のクラシック音楽を楽しむ時間も増え、あきらめかけた人生がよみがえったようでした。

 奇跡的な変化の理由が知りたくて、主治医に伺ってみました。すると、アルツハイマー病は少しずつでも進行しているはずだというのです。先生は「アルツハイマー病と診断され、自分自身でできないことが増えるなど、さまざまなストレスでおそらく鬱病(うつびよう)になり、『鬱病性仮性認知症』が出たようです。気兼ねのない静かな場所で、側には奥さんがいつも一緒にいるという安心感がご主人の心を解かし、鬱病が回復したのでしょう」とおっしゃいました。

 高齢者は住み慣れた場所で過ごすべきだという考え方が主流ですが、私たちのしたことは逆でした。でも、病気への家族の理解と対応があれば、よい結果になることもあると実感しました。いつか薬がきかなくなる日が来るかもしれません。でも、それも夫の人生です。丸ごと受け入れていこうと思っています。

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【用語解説】鬱病性仮性認知症 

 高齢期の鬱病患者に見られる一過性の認知機能低下症状。鬱病が治れば、物忘れなどの症状も治る。アルツハイマー病と鬱病性仮性認知症が重なる人は少なくないが、アルツハイマー病の初期には抑鬱(よくうつ)症状を呈する場合もあるため診断が難しいとされている。

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【プロフィル】荒井和子

 あらい・かずこ 昭和2年、東京都生まれ。東京都立第一高女卒。医師の夫・保経(やすつね)とともに、長く医院を支える。

(2009/07/17)