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「牡丹灯籠」とKiss
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え〜、やがて梅雨が明け、夏本番ともなりますと寄席も風物詩の怪談噺が増えてきます。高座で怪談噺が始まると場内を暗くする。ヒュー、ドロンドロンと太鼓の係。お化けのお面をつけて客席に出る係。ドライアイスにお湯をかけて雰囲気を演出する弟子たち…は、大忙し。せっかく怖がらせても、客席の若い娘さんなどは笑い出す始末…。というわけで、今回は怪談噺とロックの関係を一席。
怪談噺といえば、私が師事した八世林家正蔵。大道具を使ってのお化け噺の大家でございまして、三遊亭圓朝(1839〜1900年)作「牡丹灯籠」をやるときは、若手だった私や、今や人気者の林家木久蔵、好楽さんなどは、大道具の係として手伝わされたものでした。
正蔵師匠は、どんな怪談噺でも、最後のほうで「ても恐ろしい(このように恐ろしい)」というやパッと場内を明るくし、最後に「執念だな」と締める。ところが、毎晩聴きにきている子供がいて、師匠より先に「執念だな」と言ってしまう。師匠はすかさず「妄念だな」と変更して、これをかわした。次の晩、くだんの子供がこんどは師匠に投げかける。「きょうは執念かい? 妄念かい?」。すると師匠が子供に向かって「いや、残念だ」。なんてことがあったそうです。
ちょうど、弟子だった私が師匠のお手伝いで忙しかったころ、昭和52年。米ハードロックバンドのキッスが初来日しました。白塗りメークに奇怪なコスチューム。おまけに口から火を吹いたりした。そのキッス。空港の税関で足止めをくらったのです。すでにメークをしていた4人。パスポートの写真と顔が違うじゃないか、というわけです。今は懐かしいエピソード。
さて、ここに取り出(いだ)したるCD「キッス・アライヴIII」(1993年)は、まさに血湧き肉躍るがごとし。まさにライブの醍醐味を味わえます。代表曲「デトロイト・ロック・シティ」を聴いていると一緒に歌い出したくなってくる。このころのキッスは、トレードマークのメークを落とし、一時的にメンバーチェンジをしていましたな。演奏に関してはオリジナルの4人のときより強固だという人もいる。現在は、またメークを復活させ、これで最後と銘打った公演を何年も続けている。見た目と違ってけれんみのないロックンロールはサウンドは本当に魅力的。日本の伝統芸能みたいに、二代目キッス襲名披露なんぞをして未来永劫残したいほどのバンドです。
ところで、初来日当時、このグループのポスターを観て、幼かったうちの娘は泣き出してしまいました。そこで寄席で怪談噺をしている師匠に「われわれがお手伝いするより、ゲストにキッスを出したほうがお客さんは怖がりますよ」……とは、とても言えなかった。
★★★
落語を題材にしたテレビドラマ「タイガー&ドラゴン」の影響で寄席に若い人たちが行くようになったり、あるいは子供たちの間で「寿限無」をそらんじることが人気になったりと、落語が静かなブームになっているとか。そんな中、ENAKでは春風亭栄枝師匠の音楽コラムを始めます。栄枝師匠はとなにしろ三度の飯より四度の落語より洋楽が好きといういささか困った真打ちなのではありますが、さすがの軽妙な筆さばきで、落語と洋楽について書いていきます。
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information |
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(1)「牡丹灯籠」とKiss
(2)「寿限無」とC.C.R
◆profile
しゅんぷうてい・えいし
落語家
東京都豊島区出身。
昭和32年3月 京華高等学校卒業
昭和32年10月 8代目春風亭柳枝に入門
昭和34年12月 同師匠没後8代目林家正蔵に移門「林家枝二」
昭和35年8月 二つ目昇進
昭和48年3月 真打ち昇進
昭和57年1月 師匠彦六(正蔵改め)死去
昭和58年7月 7代目春風亭栄枝を襲名
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