模倣犯 宮部みゆき 新潮文庫 全5巻

ああ、なるほど、これはこの作家の代表作だ。
公園で若い女性の右腕とハンドバッグが発見される。バッグの持ち主は、古川鞠子という失跡女性。だが、犯人は「右腕は鞠子のものじゃない」とテレビ局に電話をかけ、鞠子の祖父、有馬義男にも接触してくる…。
被害者家族で、豆腐店を営む有馬義男。別の事件の被害者である高校生、塚田真一。あるいは加害者家族、事件を題材に記事を書くルポライターの前畑滋子…。
誘拐殺人事件を単に犯人と捜査側だけで描くのではなく、そこにかかわるあらゆる人々の痛み、怒り、悲しみ、あるいは理由…を織り交ぜる。ここには、この作家のすべてが凝縮されている。
現代ものであろうと時代ものであろうと宮部が常に描くのは人間の悪意、だろう。抽象的な悪とか犯罪とかではなく「悪意」だ。それが時代ものでたとえば妖怪のような形で登場したとしても、根底にあるのは人間の悪意だったりする。
だから、宮部作品は怖い。人間の奥底に潜む悪意を見せつけられるから、怖い。そしてこの「模倣犯」のもつ怖さは、どの宮部作品よりも怖い。その悪意が、昨今の社会情勢に照らし合わせればあまりにも鮮やかに現実感をもっているがゆえに。
斜め読みで大急ぎに読んだが、全5巻というボリュームに慌てたからではなく、その怖さゆえに先を急ぎたかったのだ。
そして、クライマックスにおいて宮部は、その「悪意」に対し、あるいは悪意を簡単に増殖させようとするかに見える今の社会に対し、現代人はしかしそこまで愚かなのかという問いを投げかける。私たちはそんなに愚かではないという反撃を試みる。人間の「善意」への信頼もまた、宮部作品の通奏底音だ。善意。もしくは愚直にただ真摯(しんし)に生きる姿勢。
ともかく繰り返すが、質量ともに、これはまさにこの作家の代表作。ああ、なんでハードカバーで出た際、真っ先に読まなかったのだろう。いや、しかし、この全5巻の文庫版も、それぞれが各巻が独立したトーンをもって分けられており、すばらしい構成になっている。ドキドキしながら読み進むことができる。
なお、犯人にほんろうされ、最後には逮捕への大きな役割を果たすことになるルポライター、前畑滋子は現在宮部が産経新聞朝刊で連載している「楽園」に再び登場している。
「楽園」の連載開始にあたり宮部は「子殺しという暗い事件が出てくるのに、なぜタイトルが『楽園』なのか。この小説は、タイトルにたいへん大きな意味があります。読み終わったとき、謎が解けて、そうか、とひざを打っていただけるような物語を書きたい」(17年6月21日付東京朝刊)と語っているが、「模倣犯」もまたその題名については終盤、なるほどとひざを打つ。