「Shall we ダンス?」などで知られる周防正行監督が、11年ぶりに製作した「それでもボクはやってない」。これまでの、コミカルな中に温かさがあふれていた作品と異なり、痴漢事件に翻弄(ほんろう)される若者を重く描いた今作は「日本のおかしい刑事裁判が主役」(周防監督)。「みんなに伝えなければという使命感でつくった」と話す周防監督と主演の加瀬亮に話を聞いた。
朝の駅。映画はフリーターの金子徹平(加瀬)が痴漢をしたと駅員に突き出されるところから始まる。刑事の厳しい取り調べにも否認を続けた徹平は起訴され、刑事裁判が始まる。原則「疑わしきは罰しない」刑事裁判のはずなのに、徹平は、高い有罪率のもと無罪を勝ち取らねばならない現状に直面する。担当した裁判官出身の弁護士、荒川(役所広司)の「痴漢冤罪(えんざい)事件には日本の刑事裁判の問題点があらわれる」という言葉が象徴的だ。
目撃者がいるという徹平の言い分を全く聞かない刑事、検察官。再現ビデオの制作までして行わなければならない弁護活動。真実を見極め、人間の人生を決めるはずの裁判官は、公判の途中で突然異動のため変わる…。
「取材してがくぜんとした。ひどい目に一般市民を巻き込んで、平気でいられる日本の刑事裁判が異常に見えた。今までの映画といちばん違うのは使命感」と話す周防は他の取材テーマを捨てて取り組んだという。
題名は「やってない」だが、周防は「裁判がどう裁くかだけがテーマだから、やっていてもいなくてもどちらでもよかった」。それだけに、主役の加瀬も当初大いに戸惑った。「台本に性格のことが書いてなくて、最初はすごく不安があった」が、「完成した映画を見たら、他の登場人物を含めて、人間がすごく浮かび上がっていたので、とても驚いた」という。
「今まで裁判に無関心だったのが、自分のことという認識が生まれた。具体的に、これからどう改善すればいいかを知りたくなった」と加瀬。周防も裁判員制度の導入をにらんで、「今までの刑事裁判をなぜ変えなければならないかが全く人々に知らされていない。本当の今の刑事裁判を見てほしい」と訴える。
痴漢の公判に潜む「寒さ」
リアルで重い。周防正行監督自身、「現状を再現できなかったのは、部屋の様子がどうしてもわからなかった1カ所だけ」と自信を見せるほど、刑事裁判の現状に則している。そのことを知った上で見ると、余計に、何かよりどころのない“寒さ”を感じる。もし自分が同じ嫌疑をかけられたら、果たして無罪判決を得ることができるのか…。
司法担当として過去に何度も痴漢事件の公判を傍聴したが、証拠構造があいまいな事件が多い。他人が目撃したり、被害者が被疑者の手をつかみでもしない限り、証拠は被害者の証言のみ。あるベテラン検察官から「どれだけ筋が通っているか。同じ質問を何度しても一貫して答えが変わらないか。何度も確認して裁判に臨む」との言葉を聞いたこともある。
その厳しい刑事裁判に臨む徹平。演じる加瀬亮自身が「なんとなく気が弱そう」と言うほど頼りなさそうなその姿は、大半が刑事裁判の「素人」である、私たち一般市民を象徴している。
公判での立証に加え、支援者に公判を傍聴してもらう、家族らが駅で目撃者を探す、再現ビデオを作成する…といった風に、徹平らは必死に無実を証明しようとするが、裁判官と検察官の前ではまさに蟷螂(とうろう)の斧(おの)だ。
警察の留置場にほうり込まれた徹平に、何かと詳しく内部の“しきたり”を教える男(本田博太郎)には笑ってしまうが、役所広司や竹中直人といった周防作品おなじみの俳優はもとより、瀬戸朝香や山本耕史といったキャストも、やや控えめに物語を彩る。それがいっそう、監督の「今の刑事裁判を見てほしい」というメッセージを強める。
最後に付け加えておかなければならないが、痴漢が憎むべき犯罪であることは言うまでもない。そのことは、製作者側も強調していることである。