利き手の右腕の太いこと。練習で自然に盛り上がったというその筋肉に鍛錬の跡が刻み込まれている。
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筋肉質のこの腕から、彩りに満ちた音色を響かせる |
「ウクレレはダイヤの原石のような楽器。まだまだ潜在能力がある。もっと磨いて輝かせたい」
伴奏楽器の印象が強いウクレレ1本で、これでもか、というほど多彩な音楽を聴かせてきた。パガニーニが作曲したバイオリンの難曲だったり、チック・コリアのジャズだったり。弦はわずかに4本だが、音域の狭さをものともしない。目にも止まらぬ速弾きでジャンルを軽々跳び越えてきた。「エディ・ヴァン・ヘイレンやジミ・ヘンドリックスにも影響を受けたけど、コピーしたっていうより彼らが醸すエネルギーを見習った」という。
母の手ほどきで4歳から弾き始めた。楽器はいつもそばにあった。父と離婚後、母は働きにでかけて家を留守にすることも多かったが、「寂しさをまぎらわすためにいつもウクレレを弾いた」。母が重視したのは「音楽を楽しむこと」。ロックをカバーしたり、ピックがわりに歯で弦を鳴らしたり。「情熱的な演奏は母ゆずり」だ。派手なパフォーマンスは伝統的な奏法を壊すと周囲から批判されたこともあった。それでも常に楽しむことを意識してきた。
「人と違うことをやるのは自分の糧になる。音楽的にも人としても成長するために、いつも新しいことにチャレンジしていきたい。同じことをずーっとやっているとストレスにもなるしね」
もうひとつ、長く意識してきたのが、自身のルーツでもある日本という国。
ハワイ生まれだが、父方の祖父は沖縄出身で、母方もずっと上をたどると福島が故郷。デビュー後は、公演などで来日し、より身近に感じるようになったという。卓越した技術と気さくな人柄はすぐに受け入れられ、ウクレレ奏者として初めてフジロック・フェスティバルにも出演した。
日本とのかかわりは自然と増えていった。2001年にはハワイ沖で起きた愛媛の水産高校実習船沈没事故の犠牲者を悼んで「エヒメマル」を作曲。一昨年は映画「フラガール」の音楽を手がけた。そして新作は、「見上げてごらん夜の星を」など、日本人が愛する名曲のみでまとめた初の全曲カバー作品だ。
「日本の曲を知ることで日本人が育った環境や文化が少しでも学べると思って。それにしてもこんなにたくさん素晴らしい曲があることに驚いた。自分のルーツがここにあることを誇りに思います」
ライブなどで披露する超絶技巧が注目されがちだが、新作の中で聴かせる、うっとりするような単音の響きも大きな魅力。究極の目標は「ひとつひとつの音に自分の表現したい音楽を込めること」だと語る。
「母方の祖父は『侍』みたいな人で、多くを語らなかったんですけど、口を開いたときは含蓄のあることを話した。そんな風に、すべての音が薄くならないように気持ちのこもった演奏をしていきたいですね。そのためには経験と努力が必要だと思う」
たゆまぬ挑戦心と、ここ数年の「ルーツをたどる音楽の旅」を通して、“達人”はまた新たな境地に到達したようだ。
子供たちと交流深める
演奏活動の傍ら、米国各地の小学校を訪問し、子供たちと交流を深めている。
「健康に気を使うとか、環境について考えるとか、音楽を通してそういうポジティブな考えを子供たちと共有したい」という一念からだ。
「日本でも」と、今年1月28日には、福島県いわき市立平第四小を訪れ、子供たちから手厚い歓迎を受けた。
いわきは映画「フラガール」の舞台になったゆかりの土地。演奏の後、児童と一緒に校庭に桜の苗を植え、「僕らの地球は大きいようで小さい。自分の部屋を片づけるのと同じように環境を大事にしよう」と呼びかけた。今月4日には新潟県の山古志小にも訪れた。