舞台の仕事を志すなか、たまたま地元だからと選んだのが宝塚歌劇団だった。昭和43年に入団した。
「ちょうどミュージカルが上陸して音楽劇も面白いなあと。宝塚は特に生演奏で、大人数を使える。ノウハウを勉強できればと思った」という。
入団後は、具体的に戯曲の書き方や演出方法を教わることはなかった。白井鐵造の仕事を見てレビューを勉強し、雑談のなかで宝塚歌劇について学んでいったという。
「やはり学生時代に演劇研究会で教わった、アーサー・ミラーやテネシー・ウィリアムズがベースでした」と振り返る。
しっとりした大人の文芸作からアップテンポのコメディーまで幅広いが、そこには明確な“太田スタイル”がある。
「宝塚の座付き作家は、まず出演する生徒ありき。男役の魅力をどう出していけるかを第一に作品を書きます」
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「送られなかった手紙」に主演する壮一帆(そう・かずほ) |
雪組「送られなかった手紙」は、現代の“光源氏”をイメージした。
「1人の男役がいて、娘役が取り巻く構図ですね。それをどうモダニティー(当世風)に見せるか。すさんで落ちぶれていく男の魅力、貴族のぼんぼんぶり、色男的要素、カッコイイ死にざまなど、全部入れてますね」
宝塚音楽学校で演技を教え、いくつかの大学でミュージカル論などの講義も持っている。
「日本人の暮らしぶりが変わって豊かになり色彩があふれてきた分、宝塚に入るまでに身に付けているものが少なくなったと感じます。お芝居をやりたいと思って入ってくる生徒は少ないですが、レッスンをやるうちに芝居も面白いもんだと感じてくれるようになりますよ」
これまでに印象に残ったタカラジェンヌを1人あげるとすると、「女役者という感じがした天津乙女」なのだという。
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