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SUMiRE MEMO
by 平松澄子
7月1日 大阪夕刊
連載 産経新聞における主な宝塚関連連載記事は次のとおりです。

・東京本社が発行する毎月第1、3月曜日朝刊の「ザ・タカラジェンヌ」

・大阪本社が発行する毎週土曜日夕刊の「すみれの園を創る人たち」


・大阪本社が発行する夕刊では、毎月不定期火曜日に大判の写真をあしらった連載「タカラヅカ90th きらめく星たち」も。

番組表 東京版朝刊TVメディア面のBS・CS欄にはCSチャンネル「TAKARAZUKA SKY STAGE」の番組表と解説を毎日掲載しています。

OG関連記事 演劇一般など、それぞれ活動のジャンルごとに掲載しています。
ENAK編集部
編集局文化部
 
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昭和初期 音楽学校でバレエ指導 宝塚歌劇団90周年
ありがとうオソフスカヤ先生 OGが墓参
宝塚歌劇団名誉理事の渡辺武雄さん(89)とタカラヅカのOGたちがこのほど、米サンタモニカにある恩人の墓参りをした。大正末から昭和初期の宝塚音楽学校でバレエを教えていたエレナ・オソフスカヤ・メッテルさん(1880−1964)。その消息を最近知った渡辺さんが在米のOGたちに呼びかけて実現した。「創立90周年を迎えた宝塚歌劇から感謝をこめて」。渡辺さんらは熱い思いを墓前に報告した。

メッテル夫妻の墓に参った渡辺武雄さん(左から2人目)とOGたち=サンタモニカの霊廟で
メッテル夫妻の墓に参った渡辺武雄さん(左から2人目)とOGたち=サンタモニカの霊廟で


オソフスカヤさんはポーランド人バレリーナ。ロシアのバレエ団などでプリマをつとめた後、大正末期に来日し、宝塚音楽学校に教授として招かれてバレエを指導した。招かれた経緯は不明だが、大正14年11月号の劇団誌『歌劇』に「宝塚音楽学校教授として来任されたオソフスカヤ嬢」と、ダンス姿の写真入りで掲載されている。その後、バレエ公演「イゴール公」など3回の舞台記録もある。

夫のエマヌエル・L・メッテルさんはユダヤ系ウクライナ人の指揮者。作曲家の服部良一さんや指揮者の朝比奈隆さんの恩師として知られ、「関西音楽界の父」といわれる。夫妻は昭和14年秋、横浜港から米サンディエゴへ出港し、その後の消息は長く不明だった。

これを掘り起こしたのが音楽評論家の岡野弁さん(77)だった。夫妻の足跡を調べ、その墓がサンタモニカの霊園「ハリウッド・メモリアル・パーク・セメタリー」にあることを突き止めた。岡野さんの著書『メッテル先生』によると、メッテルさんは1941年に63歳で、オソフスカヤさんは64年に83歳で、それぞれ亡くなっている。

当時の生徒が描いたオソフスカヤ先生のイラスト=大正15年の「歌劇」から
当時の生徒が描いたオソフスカヤ先生のイラスト=大正15年の「歌劇」から
渡辺さんは同書を読み、「いつか墓参に」と機会をうかがっていたという。

「メッテルさんはもちろん、オソフスカヤさんとも面識はないんです。ただ、学生時代にバレエを習っていた宝塚音楽学校の先生を通じて名前やエピソードなどは知っていた」

昭和26年に宝塚歌劇団に入団し、演出・振付の中心的存在として活躍した渡辺さんにとっても夫妻は遠い存在だった。「後年、宝塚のことを知れば知るほど、オソフスカヤさんが宝塚歌劇のクラシックバレエの基礎を築いてくれた大切な恩人という思いを強くした」という。

渡辺さんはさっそく、アメリカ在住のタカラヅカのOGたちに墓参を呼びかけた。ロサンゼルスでOGの会報「宝米会」を出している、時凡子(芸名)さんらと連絡をとり合って5月に渡米。

「夫妻の墓はアパート式のキャビネットで探すのに時間がかかりました。ようやく探し当て、お花を供えて黙祷(もくとう)し、みんなで『すみれの花咲く頃』をハミングしてきました」

なかにはオソフスカヤさんに直接指導を受けたOGもいて、「すごくきびしい先生でした。ダメダメといって床を棒でたたき、うまくできるまでやめさせてもらえなかった」などと思い出を語り合った。

「大正13年に新しい宝塚大劇場が造られています。その前後に外国人教師を積極的に招いたのではないでしょうか。本格的な舞台を見せたいという小林一三翁の理想が感じられます」と渡辺さん。

「宝塚歌劇の90年はいろんな人たちの力の集積。歴史に埋もれていたオソフスカヤさんも、そんな1人です。今回、実際に習った生徒も一緒に供養できたことが、とても意味がありました。宝塚歌劇の文化的認識を新たにして、いつまでも感謝の気持ちを忘れないでほしい」

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