宝塚歌劇の作曲家、寺田瀧雄さんが七月三十日、亡くなった。交通事故で入院中の訃報(ふほう)で、六十九歳だった。
寺田さんとは十年ほど前から親しくなった。もちろん、偉大な存在は知っていた。歌いやすくロマンチックな曲調が特色だった。
寺田さんの先輩でやはり、歌劇音楽に大きな足跡を残した中元清純さんのメロディーが、モダンでクラシックふうな味わいだったとすれば、寺田さんの歌には演歌からポップス調まで、喜怒哀楽の気分を助長させる流行歌の親しみがあった。
宝塚ファンでなくても、♪愛 それは甘く 愛 それは強く…と歌い出される宝塚歌劇最大のヒット作「ベルサイユのばら」の主題歌「愛あればこそ」を作曲した人だといえば、えー、そうかと思うだろう。
わたしは、「ベルばら」ソングの中では、「心のひとオスカル」の旋律が好きだが、寺田さんが最後に手掛けた雪組公演「凱旋門」(十四日まで、兵庫県宝塚市の宝塚大劇場で上演中)の主題歌まで、歌劇メロディーの作曲数はじつに、三千曲に及ぶ。
寺田さんとは、本当にずうずうしく付き合わせていただいた。
十年ほど前になるのだろう、そのころよく宝塚大劇場に行っていて、泊まった夜にはきまって、大劇場近くの居酒屋へ寄った。そこで初めて寺田さんと出会い、だれかに紹介されたのだが、酔いがまわっていたわたしは、あんなきれいな曲を作るのに顔はゴジラのようだと失礼なことを言ってしまった。「だれや、この人、失敬な人やなあ」と、寺田さんは大声で言ったが、なぜか、それから親しくなった。
歌劇団の理事を辞めてからのほうが気楽に飲めるようになった。
最後に飲んだのは、今年の二月二十一日、初めて会ったその居酒屋だった。焼いた牛肉をサニーレタスに巻いて食べるベトナムという名物料理を食べながら、二人でワインを二本空けた。
「三月に作曲家生活四十周年記念のコンサートやるから、パンフレットに何か書いてよ」と、寺田さんが言った。
コンサートは大成功だった。
七月頭に突然、「今、東京だけど、二、三時間空いちゃったの、出てこない?」と電話をいただいた。どうしても時間がとれずまた、今度ということになってしまった。
それだけが、心残りである。
000807産経新聞東京夕刊